怒る

あの、財産没収の稽古場日誌が、とてもストイックなものになりそうなので、私の日記を別途、挟みこんでいきたいと思います。

私の日記は、ただの徒然、私の頭に浮かんでは消えていったことを書きとめるだけのものです。ストイックを中和させるものに、果たしてなれるのかどうか。

今日は「怒る」について書きます。

私はずーっと、オコリンボでした。

「でした」って書くということは、今は違うの?と思いますが残念ながら今も、オコリンボです。私の夫なんかは、びっくりするぐらい「ヤサシンボ」なので、私が怒り出すと、最近なんかはその怒りが静まる行動を粛々をとってくれます。私も、自分が感情に振り回されていることをなんとか俯瞰して見れるようになってきたので、なんというか、私達夫婦、力を合わせて私の「怒り」を鎮める、という、不思議な状態になっています。

ただ、家族以外の人に対しては、オコリンボになることを、私はここ数年、やめていました。やめていたというか、結果、抑え込んでいた、ということなります。やっぱり、感情に振り回されると、人間関係がうまくいかないからです。単純な論理です。

でも間違えて、ただただ、ズブズブに優しい人、になってしまっていたような感じもあります。ここ数年では一つだけ、とても許せないことが起きた時は爆発してしまいましたが、それ以外ではおそらく、ほとんど、誰にも怒らなかったんじゃないでしょうか。

そんなことができたのは、とても大事な人を失ったからです、それを、私のオコリンボのせいだ、と思っていたからです。

でもね、

そうやってニコニコ、「いいよいいよ」「なんでも受け入れるよ」とやってきた結果、

どうも私、自分の何かを抑え込んでいるような感覚に襲われるようになりました。ニコニコし始めた当初は、「こりゃええわ!」「気持ちええわ!」「私めっちゃ性格良い人!」と思ったものですが・・・最近は、どうも、やりすぎている、やりすぎて、自分の芯までなくなっているような感じ。

私自身が、甘い人間になってる感じ。
私、甘えた人間が、大嫌いなのに!⇦怒っている

私ってやっぱり、「怒り」が原動力なんです。
それは、良いとか悪いとかじゃく、そうだ。

ということをふと、思ったりして。

怒りは、悪いことじゃないんだ。
だって、勝手に沸き起こる感情だもの。
そこを否定するってことは、私を否定することになるんだと、ようやく気がつき、

抑え込まずに観察して、行動に対して論理的に批判できるように、なるべきだと、気がつきました。

それは同時に、自分の行動のチェックにもなります。
私の他者に対する批判的な言葉は、そのまま自分に突き刺さるからです。

そうそう、一番しんどかったのは、ニコニコ他者を甘えさせることで、私が、自分にも甘くなっていたことでした。この辺の塩梅って難しいな。

厳しすぎても、甘すぎても、立ち行かないものね。
だってな、お互いに許しあうだけでだらだら生きてて、勝手に天井から肉や野菜や果実が落ちてくるならええよ?でも、やっぱり、誰かがピリッと立ち上がって、人と折衝しながら、自分の食い扶持だけは確保しなあかんわけですから。

このまま、甘えたのままでは、それが無理やと思ったんです。

ちなみにこういう流れは、ある日を境に急にそうなったのではなく、ここ1年ぐらいのことです。1年かけて、ゆっくり、そういう風になってきました。

先日、シニア演劇大会に参加してきたのですが、そこで私、久しぶりに他者に怒りました。これが、演劇で言えばオコリンボ再結成後の第一回公演という感じになりました。

とてもとても怒りました。行動に対して。その行動が何を引き起こしたか(具体的にはうちの団体が迷惑を被った)を伝えて、怒りました。でも、暖簾に腕押し、全く響きませんでした。

ここで私が感情的だった場合、思いが届かないことにジレンマを抱き、さらに怒りを増幅させていたと思います。でも、実は全然感情的ではなかったので、届かないことは織り込み済みでした。

後から「あの人全然反省してなかったよー」とたくさんの人に聞きましたが、怒鳴られて、即座に反省する人はあまりいません。その場をしのぐための謝罪の言葉を発するのが精一杯なんだと思います。反省は、おそらくこの先に、私とは関わりのないどこかで、せざるをえない日が彼にやってきます。だって、1時間以内の作品を作れって言われて、全部のスケジュール表まで配られてるのに、45分もオーバーしてきたんだから。その感覚で生きてたら、どこかで頭打たないわけがない。

ただ、彼の頭を打つのは私ではない。

あの時私に怒る必要があったのは、私自身が、改めて、「ルールを守ることが、他者を守ることになる」という事実を自分に突きつける必要があったからだと思います。

あとは、私が、恍惚一座のメンバーの声を代弁する必要もありました。
あそこで変に穏便に済ませたら、誰の怒りも鎮まらないからです。

怒りは、相手を反省させるツールとしてはとても弱いと改めて思いました。
それでも、私はオコリンボを再結成できて、よかったと思いました。

怒りたくても怒れない人もいるし、泣いちゃう人もいるし、穏便にしか済ませられない人もいるから、そういう時は私が怒ればいいと思ったし、怒ることで、私は私をピリッとさせていくのです。

にしても、くだんの彼、その後、女性の楽屋に入ってきて、ずーっと居座っていたそうです。公共の場所も、男性用の楽屋もあるのにですよ。なぜ、女性楽屋に、入り浸ったのか・・・。我らが恍惚一座のメンバーは、衣装の着替えが大変だったそうで、そのデリカシーの無さに呆れました。ありえんわ。