悪童日記3月10日

今朝は、じうと自転車で銀行に行ってからの稽古でした。
寒いのでつなぎを着せて、背負い、京の街を走ります。
銀行で寝てしまい、そこから芸術センターまでは爆睡でしたが、寒さが心配で、乗らなけりゃよかったと後悔しました。途中、赤ちゃん親衛隊のおばさまに案の定「こんなに寒いのに自転車!」とお叱りの言葉を受けます。素直に反省すると「最近は前にも後ろにも子供乗せて自転車乗ってるお母さんがいる。信じられん!」お怒りの矛先を変えていただきました。

全国に散らばる親衛隊。恐ろしや。

さて今日は、ギアで制作をされているしらとりまなさんが稽古見学に来られました。

まず、双子の性質を表したシーンを返します。以前は双子の性質について述べただけのシーンでしたが、ある時から、父と母の会話をここに挿入することになり、シーンとしての強度が増したものの、出演者がセリフと動きを合わせるのに四苦八苦するという状況が続いていました。

今日、改めて、父を読む日置さんから、視線をどこに定めたらよいかと質問があり、改めて視線について考え、整理したところ、驚くぐらい、シーンが変わりました。

セリフも動きも変わらないのです。ただ、どこを見て喋るかを考えた。
それに準じて多少の動きの変更はあったものの、大きく変わったのは、日置さんと母を読むこうちゃんの心の部分だったのです。それに影響され、高杉さんのセリフも変わります。双子の動きも変わります。

しかも喜ばしいのは、これが、悪童日記に記されている事実外の解釈を含んでいるということです。小説に出てくるセリフしか使っていないのに、読者に任された部分について、私たちの考えをしっかりと提示できるシーンに育ちました。

その後、おばあちゃん家に行くまでのシーンで、壁歩きを復活させました。劇場の問題があったのですが、それがクリアになったためです。

それから、祖母が墓場に行くシーンの平台ワークについて、細かい打ち合わせと、ズレを修正していきます。同じく台所のシーンも、ずれの修正とタイミングの共有、動きの変更などを重ねていきます。

兎っ子のシーンについても平台ワークを精査し、さらにこうちゃんの動きについても再考しました。アイディアが浮かんだ時には「すごくいい」と思ったシーンも、他のシーンが改善されていくにつれ、色褪せて行きます。それがただ、見慣れただけなのか、それとももっと良いものが他にあるのか、見極めながら、改善していきます。

後半、ジープのシーン、将校のシーン、女中の風呂タイムのシーン、ラスト、国境越えの平台ワークなどを同じように精査して、通しをしました。

割と力強いシーンが続くので、少し悪ふざけのできるシーンが作りたかったのですが、今日やっと、5人の男性陣が女中の風呂タイム、将校のムチ打ちタイムで息を合わせてふざけてくれました。こういうのは、こちらが希望するだけでは実現しないものです。「悪ふざけしろ!」ってありえない命令です。メンバーがその気になり、その空気を共有できて初めて、そこに到達です。

今日の通しではそれが観れて、出演者全員のモチベーションが揃った感じがして、嬉しかったです。