じうが、熱を出しました。
正式な熱は、初めてになります。
母、不安でいっぱいです。
しかし、戦うのはじうのからだ。
私はじうのからだが戦いやすいように、熱を上げるような処置をし、上りきったら下げれるような処置をし、水分補給するために、起きています。じうに、母にしてもらってます。痛感します。
さてこの日はとうとう、写真を撮り損ねました。
というのも、「冬」と題した12場のシーンを作ろうとして、ものすごく、ものすごーく停滞したからです。
というわけで「冬」に行く前に、前日に通した最後の、兎っ子から女中へのシーンを、大幅に変更しました。詳しく言うと、高杉さんの提案で、ものすごくすっきりしたシーンに仕上げました。
またまた余談ですが、今回使っている平台を、どう使うか、という美学について。
私はそもそも、突拍子も無いことを、メリハリのあることを考えるのが好き。ガン!とエッジが立つことで、飽きずにいられます。でもそうすると、他者には全てが唐突に感じるみたい。というのは30超えて知りました。
対して、高杉さんは、基本をしっかりと押さえる人。
突然飛躍するのではなく、飛躍するためにしっかりと助走することを好みます。
他者にとってはとても親切。これだと、一緒に山頂を目指すことができます。
今回舞台美術として使う5枚の平台を、いきなり裏を見せたり、立てたり斜めにしたり、というふうに使わず、あくまで、平行移動でどこまで見せることができるか。そう言った思考方法を、平台が仕上がった早い段階で、高杉さんから提案されていました。
さて、冬の導入シーンでは、知らず知らず、少し派手な平台の動きがありました。
ということで、平台の動きを、高杉さんナビの元、シンプルに戻してみたのです。
それからもう一度「冬」に向き合うことに。
導入は、すこぶる改善されました。とても良い。
しかし、「冬」については、全く打開できそうにない。
うーん、うーんと唸る。
この「停滞」を、「停滞」と捉えるか、それとも「表面化しない変化」と捉えるか。
なんて考えながら、黙って考えること数十分。
そうそう、ここで何が見せたいか、を改めて考えていけば、自ずと答えははっきりする。
私はここで、13場の「靴屋」のシーンを見せたいのです。
「靴屋」のシーンでは、双子は、双子のこれまでの信念を揺るがす恩を受けます。
殴られ、蹴られ、罵られてきた人生だったのに、靴屋さんと「人は信じるに値する」と思えるような出会いが実現するのです。
靴屋さんは、偶然、ユダヤ人だった。
当時、虫けらのように扱われていたユダヤ人。
「悪童日記」という作品の肝ですね。
私は、このシーンで、ダイアローグを見せるのは違うと思っていたのです。それは良く考えれば逃げだったかもしれません。俳優集団でないサファリ・Pにはハードルが高く感じられたのです。
それで、「靴屋」のシーンをイメージシーンにしようと思ったのですが、それでは情報が足りないので、双子には靴が必要なんだと伝えるための「冬」を付け加えたのでした。
それを一旦白紙に戻し、
靴屋を担う日置さんが双子の足はこびを手伝う、という動きに合わせて、高杉さんとこうちゃんに、靴屋のダイアローグをやってもらいました。
伝えたいことが、テキストレベルよりもはっきりしました。
終日5人が集まれる稽古日は残り少ないのですが、なんとか次に進めそうです。
写真がないのも寂しいので、熱を出したじうが昼間思いっきりミルクを飲んでいた写真を掲載しておきます。
まだおすわりもままなりませんが、自分で椅子に座ることができました。