2017年「悪童日記」」カテゴリーアーカイブ

悪童日記2月24日

この日は、午前中、「ドイツ人」と題したシーンの稽古。

ドイツ人は、これまた日置さんの担う役です。ユダヤ人と表裏一体の存在、集団です。
ユダヤ人の時に迫害された日置さんが、今度は国の運命を握る存在になります。
多くの民衆の命をどうにでもできるという存在になってしまう。
それは、「虐殺される」ことと、同じぐらい、不幸なことのように、私はこの小説を読んで感じました。

というのも、
誰かを笑顔にしたら、まるで自分のことのように嬉しくなる。
のと同じで、
誰かを泣かせたら、表面的にカタルシスを感じても、自分に「悲しい」というメッセージを送ってしまう。

大勢の人を虐殺するということは、
自分を何度もなんども、虐殺することと等分。だと思うのです。

まさにこの小説の「将校」の存在です。
将校は鞭打たれ、おしっこをひっかけられることを望みます。
そうすることでしか、自分たちの行いを消化できないのです。

こういうことを、この「ユダヤ人」からの「ドイツ人」で表現できないものかと考えています。

そしてその後、双子が刑事に出会う、「刑事」というこの芝居一長いダイアローグの台詞合わせ。

昼からは、「ドイツ人」のシーンのセリフを、行進のリズムと合わせる作業をしました。

行進しながら台詞を言うと、中途半端に台詞にリズムがついてしまうので、いっそ、すべてにリズムをつけることにしました。


病み上がりのじうでしたが、その日の出演者全員とがっつりコンタクトしていました。

悪童日記2月23日

この日もじうはお熱。
夫が仕事を休んでくれて、私は朝から稽古に参加することができました。
じうがいないので、自転車で芸術センターへ。

途中、郵便局で、劇場向けのご招待状を発送し、稽古場につきました。
午前中は、「ユダヤ人」と題したシーンを作りました。ここは、日置さんに担ってもらうシーンです。

悪童日記の中に出てくる代表的なユダヤ人は、靴屋さん、ひかれていく人の群れ、従姉妹です。

でも、すべてのユダヤ人登場人物を小説並みに細かく説明する時間がありません。
ダイジェストにせずに、その本質を伝えるためにはどうしたらいいか。

ここでは靴屋との絆をしっかりと描き、そのあと、虐待されるユダヤ人を描くという提案を、高杉さんがしてくれます。
台詞を追加し、イメージを作りこんでいきます。

そのあと転換に、空襲のシーンを追加して、セリフの配置をいろいろ変えてみることで、さらにユダヤ人のシーンを強く作り上げることができました。

悪童日記2月22日

22日はじう発熱のため、
午前中は稽古をお休みしました。

迷ったのですが家から一番近い小児科へ連れて行くことに。インフルエンザだったら怖いなと思ったのです。
結果陰性だったのですが、その小児科、先生がずーっとハイテンションで高速質問を繰り返してくる小児科で、少しでも言葉に詰まると、机をこんこん叩いて急かす、こちらが「えーっと、いつやったっけ」と言葉を濁すと失笑する、という調子で、とても新鮮でした。それでいて悪い人じゃないことが伝わってくる、不思議な先生でした。

午後から稽古に参加させてもらいました。
この日は、はしぐちしんさんと、木村雅子さんが稽古場見学に来てくださいました。
照明の池辺さんもかよこと登場。

舞台についての話を一通りして、少しバミリを修正し、

通しをしました。
終わってから、発語についての話をしました。
当然なのですが、これまで同じ俳優訓練をしてこなかった5人、声の出し方は全然違います。
一方私には
ここはこのように声を出して欲しいというのが、自分でも自覚している以上にあって、それをどのように伝えていくか、が私の中の課題となりました。

おそらく、一つ一つ全て、細かくお願いしていくしかないのです。気の遠くなるような作業ですが。
声を出す、という作業は、歩く、という作業と同じように、無意識で行われているものです。
これを意識の上にまず引きずり出すこと。
全てはそこから始まるのでしょう。
本番まで、3週間を切りましたが、粘っていきます。

悪童日記2月20日

じうが、熱を出しました。
正式な熱は、初めてになります。
母、不安でいっぱいです。
しかし、戦うのはじうのからだ。
私はじうのからだが戦いやすいように、熱を上げるような処置をし、上りきったら下げれるような処置をし、水分補給するために、起きています。じうに、母にしてもらってます。痛感します。

さてこの日はとうとう、写真を撮り損ねました。
というのも、「冬」と題した12場のシーンを作ろうとして、ものすごく、ものすごーく停滞したからです。

というわけで「冬」に行く前に、前日に通した最後の、兎っ子から女中へのシーンを、大幅に変更しました。詳しく言うと、高杉さんの提案で、ものすごくすっきりしたシーンに仕上げました。

またまた余談ですが、今回使っている平台を、どう使うか、という美学について。

私はそもそも、突拍子も無いことを、メリハリのあることを考えるのが好き。ガン!とエッジが立つことで、飽きずにいられます。でもそうすると、他者には全てが唐突に感じるみたい。というのは30超えて知りました。

対して、高杉さんは、基本をしっかりと押さえる人。
突然飛躍するのではなく、飛躍するためにしっかりと助走することを好みます。
他者にとってはとても親切。これだと、一緒に山頂を目指すことができます。

今回舞台美術として使う5枚の平台を、いきなり裏を見せたり、立てたり斜めにしたり、というふうに使わず、あくまで、平行移動でどこまで見せることができるか。そう言った思考方法を、平台が仕上がった早い段階で、高杉さんから提案されていました。

さて、冬の導入シーンでは、知らず知らず、少し派手な平台の動きがありました。
ということで、平台の動きを、高杉さんナビの元、シンプルに戻してみたのです。

それからもう一度「冬」に向き合うことに。

導入は、すこぶる改善されました。とても良い。
しかし、「冬」については、全く打開できそうにない。

うーん、うーんと唸る。
この「停滞」を、「停滞」と捉えるか、それとも「表面化しない変化」と捉えるか。

なんて考えながら、黙って考えること数十分。
そうそう、ここで何が見せたいか、を改めて考えていけば、自ずと答えははっきりする。

私はここで、13場の「靴屋」のシーンを見せたいのです。

「靴屋」のシーンでは、双子は、双子のこれまでの信念を揺るがす恩を受けます。
殴られ、蹴られ、罵られてきた人生だったのに、靴屋さんと「人は信じるに値する」と思えるような出会いが実現するのです。

靴屋さんは、偶然、ユダヤ人だった。
当時、虫けらのように扱われていたユダヤ人。

「悪童日記」という作品の肝ですね。

私は、このシーンで、ダイアローグを見せるのは違うと思っていたのです。それは良く考えれば逃げだったかもしれません。俳優集団でないサファリ・Pにはハードルが高く感じられたのです。

それで、「靴屋」のシーンをイメージシーンにしようと思ったのですが、それでは情報が足りないので、双子には靴が必要なんだと伝えるための「冬」を付け加えたのでした。

それを一旦白紙に戻し、

靴屋を担う日置さんが双子の足はこびを手伝う、という動きに合わせて、高杉さんとこうちゃんに、靴屋のダイアローグをやってもらいました。

伝えたいことが、テキストレベルよりもはっきりしました。

終日5人が集まれる稽古日は残り少ないのですが、なんとか次に進めそうです。

写真がないのも寂しいので、熱を出したじうが昼間思いっきりミルクを飲んでいた写真を掲載しておきます。

まだおすわりもままなりませんが、自分で椅子に座ることができました。

悪童日記2月19日

90歳でジムに通うお爺様に、バスの中で話しかけられました。
もちろん、じうが。

はつらつとして血色の良いお肌。
酒もタバコもしない。趣味もないので、体を鍛えている、とのことでした。
じうをたくさん、愛でてくださいました。

年齢は関係ありません。
魅力的な方は何歳でも、魅力的です。

さて、この日は午前中に照明の池辺さん、
最後の2時間、司辻有香ちゃんが見学に来てくれました。

台本の台詞の追加を最初に配ります。
すでに書いたことですが、今回のテキストは基本的にすべて、小説からの引用のみです。私の創作はありません。それは私たちなりの、アゴタ・クリストフ氏に対する敬意であり、かつ堀茂樹氏の翻訳への敬意でもあります。

堀さんの翻訳は、よくある「使えない翻訳口調」ではありません。現代に生きる私たちに取っての手触りのある言葉が選ばれているのです。でもインスタントな感じは全くありません。

この、至宝の言葉たちを厳選し、適材適所に配置して、悪童日記を立ち上げたいと思っています。
小説を読み込んでいくと、一回目、二回目では気がつかなかった繋がりに気がつきます。
そのうち、あの辺にああいう台詞があったな、という小説の言葉脳内倉庫が仕上がります。
その倉庫から、適宜取り出したり配置しなおしたりして、テキストを更新していきます。

さてテキストの追加があったのは、「双子は離れられない」と題したシーン。
動きだけで表現していたところに、少し言葉を加えてみました。

それから、おばあちゃんの後を双子がつけるシーン。
ここも動きだけで表現していたのですが、言葉をつけることでがぜんシーンに厚みが出ました。

最後に、女中のシーン。
女中は、この「悪童日記」の主要な登場人物の一人なのですが、彼女を表現するための言葉のチョイスを大幅に変更してみました。性的な、刺激的な言葉が連なります。

カグスベールで平台を動かしているのですが、重いもの(この日はこうちゃん)を乗せて動かすとカグスベールが剥がれてしまいます。それを付け直す図。

最後に、1から11までを通して、稽古を終えました。
テキストは22場あるので、半分まできたことになります。
やっとです。

悪童日記2月18日

じうちゃんが、なんだか言葉にならない言葉を話し始めました。
発語は3ヶ月ぐらいからあったのですが、ずっと「あ」とか「ぱ」とか単発のものばかりでした。それが、本人は喋ってるつもり、みたいな連続の言葉を、最近ついに口にするようになったのです。

そうすると、こちらは勝手に「今お父ちゃんって言った!」「今、痛い、って言った!」とどんどん勝手に深読みし始めます。おそらくこの深読みが、彼に声と意味の関係を知らせていくのでしょう。

「深読み」って大人になってもするものですが、そう思うと奥深い行為ですね。

さて、今日は、すでに作っていたおばあちゃん家のシーンの細部を詰める稽古をしました。

悪童日記に出てくるおばあちゃんちのイメージ、今でも日本の山奥に現存するのを私は知っています。

山奥では、動物のような生き様のご老人を時折見かけます。私が和知でおうちを借りていた時も、隣に住んでいた(隣と言っても結構離れています)一人暮らしの85歳のはっちゃんち、自然の一部のようでした。

そもそもはっちゃん自身が両足と大地が繋がっているようなイメージの方でした。急に空を見上げて「雨や」と言った瞬間雷がなって土砂降りになったり、私の残された片方の靴を見て「山の子や」とつぶやいたり、

山の中を歩いて「これは食べれる、これはあかん」と説明してくれたり、山の中に生えている木を切って、杖にしたりします。その木は、生えたては食べることもできます(名前を失念!)

悪童日記のおばあちゃんを見ていると、朝早くから畑を耕し、日が暮れても家の中でひたすら働いていたはっちゃんを、思い出します。はっちゃんは、おばあちゃんと違ってとてもとても優しい人だったのですが。

その後、兎っ子と女中のシーンから、厳しい冬がやってきて双子が凍えているというシーンまでを作りました。


*この写真は、兎っ子と女中のシーンではありません。念のため。

兎っ子と女中は悪童日記に登場する女性人物なのですが、私はこの二つのキャラクターを、オセロの白と黒みたいに、表裏一体の存在と捉えています。「女性」でくくるのは少し乱暴かなと思いながらも、

同じように男を求めている姿、

が重なります。
外見、言葉遣いが真逆なのですが、言っていることはほとんど同じなのです。

表裏一体ということで、同じ演者に担ってもらいます。
果たしてこの作戦は、どう出るでしょうか。

悪童日記2月16日

昨日の帰りは、バスの中、3回ほど隣に座るおばさまが変わり、その都度じうに構ってくれるので、ご機嫌で帰路につくことができました。途中で「笑ってくれてありがとう」とおばさまがおっしゃるのを聞いて、涙ぐんでしまいました。

笑ってくれてありがとう、なんて素敵な言葉でしょうか。
しょうもないことで少しプンプンしていた帰り道だったのですが、大反省しました。

笑います。
怒るべき時は怒ったらええねんで、という声が聞こえてきますが、いいえ、笑います。

さて今日の稽古は、双子が墓場でおばあちゃんに見つかり、殴られ、司祭様に会う、というところまでを作りました。
稽古場見学に、帰山玲子さんが来てくださいました。

人が人を殴る、

というシーンは、これまでサファリ・Pの作品の中で必ず出てきました。
その都度、難しいと感じてきたのですが、今回ほど、難しいと思うことはありませんでした。
おそらく「難しいと感じることができるようになった」というのが正しい表現だと感じます。

舞台で「殴る」という表現を行う場合、大きく二つに手段が分かれます。

本当に殴るか、殴らないか、です。

私たちは、絶対に、本当に殴ることはしません。
それは昔から決めていることです。
なぜかと言われたら、長くなるので、また別の機会に。

では、実際には殴らないとして、どうやって、人が人を殴っているという表現をするのか。
殴る真似?殴られる真似?
考え出したら日が暮れそうでした。

というわけで、台本にあった「町の人たちもやってきて、双子を殴る」というシーンをカットしました。
そして転換として特に意味のない動きをつけ、なんとかそのシーンを完成させましたが、やってみると「意味がない」ことが逆に効果的になったりして、それはそれで興味深いシーンとなりました。

後半、高杉さんが早退だったので、
4人で未完成のシーンを作りました。

まっちゃんと達矢さんはユニゾンのシーン。
日置さんとこうちゃんは、父と母のセリフ。
そして4人で、おばあちゃん家を説明するシーン。

おばあちゃん家を説明するシーンは、初めてやる作り方で仕上げたのですが、まっちゃんが「これはいい!」と喜びました。幾つか楔となるところだけ決めておいて、あとは一人ずつ、振り付けを考えるのです。人に落とすという作業が省けて、しかし時折ユニゾンとなって、とてもとても見ごたえのあるシーンになりました。

二人の動きの精度が上がるにつれ、日置さんとこうちゃんのセリフにも厚みが出てきました。

お昼は、帰山ちゃんが買ってきてくれた弁当を食べながら、いろいろと作品のこと、聞いてもらいました。ありがたい!!感想はツイッターでつぶやいていただいてます。@kiyamaniaで検索してみてください!

明日は、稽古お休み。
土曜日、ここまで通すのが楽しみです。
そして次のラウンドへ。
果たして2月中に通しはできるのでしょうか。
いや、やります。やってみせます。

悪童日記2月15日

赤子親衛隊のおばさまに連日会います。
この日はバス停で、近づいてきてじうの顔を覗き込み、手を撫で頭を撫で、帽子をかぶせ直して靴下を履かせ直してくれるというおばさまに出会いました。全部「あー、寒い寒い、あー寒い寒い」と言いながらやってくれました。

私、受け入れすぎでしょうか。

さて、この日は前日14日に作った「おばあちゃんの後を双子がつける」シーンを、まっちゃんに落として精度を上げる作業。そして「兵士」のシーンを作りました。

「悪童日記」は第二次世界大戦中のお話し。当然、兵士がたくさん、登場します。
兵士には種類があって、この国を支配している兵士、脱走兵、死んだ兵士、戦争に勝った兵士、様々です。
全部一様に兵士なんだけど、立場が微妙に違います。

今日作ったのは、全員が同じように動く、「行進」のシーンです。

ユーチューブでいろんな行進を見ましたが、一体この行進にどれだけ時間をかけたのだ、というぐらいぴしっと揃っていて、そこに時間をかけることが、兵隊という人の塊を機能させるのにどれだけ大事なこととされているのかと言うことを、痛感しました。

動きが他者と完璧に揃うこと。
とても気持ちが良いです。
高揚します。

これが高揚で済めば良いのですが、
人を傷つける方向に向かったとき、恐ろしい力を発揮してしまいます。

そのようなことを考えながら作りました。
実際にはみなさんの技の光るシーンとなりました。

おばあちゃんの後をつけるシーン作りは、緩急をつけることで俄然面白くなりました。
まあ、いいんじゃない?をやめて、これなら絶対に面白い、が見つかるまで、何度もなんども繰り返します。

私は脳が疲れるだけなのですが、
みなさんの身体は稽古終わり、どっぷり疲れているようです。
いよいよ、劇場入りまで一ヶ月になりました。

悪童日記2月13日

先日、バスに乗ったところ、久しぶりに赤ちゃん親衛隊のおばあさまに遭遇しました。

おばあさまは、じうと私の干支を聞き、将来、じうが大成功をおさめることを約束してくれました。一体どういった分野で成功するのか、何を持って成功というのか、いろいろと疑問は尽きませんが、良い予言は信じたいと思いました。

ただ、風邪だけはひかせてはならないと再三注意を受けました。
風邪をひくと台無しになるそうです。

うーん、すでに結構な回数ひいてしまいました。残念。

さて、13日は、稽古場見学に「ピンク地底人5号さん」と「ゆみちゃん」がお越しくださいました。お二人は、稽古見学の様子をツイッターでつぶやいてくれています(きになる方は、@pinkchiteijin5さんと@18yumichanさんで検索してみてください)。

この日は、台本の最初の2ページを作りました。
ただし、双子がおばあちゃん家に行くところまではすでに出来上がっていましたので、おばあちゃんが家を出て、祖父の眠る墓に行く、それを双子がつける、というシーンを重点的に作りました。まっちゃんがお休みでしたので、5号さんが代役をしてくれました。

「見ていて面白い」ことと「目的に忠実である」ことは、時に相反します。見ていて面白いを取りすぎると、目的を見失い、目的ばかり見つめていると飽きてきます。両方を取りながら前に進むのは、面白いですが忍耐が必要です。

そのあとは、司祭様が双子に祈りを授けるところと、父母が双子について語るシーンを作ってみました。どういった発声をするか、どのように聞こえてほしいかを何度もなんども繰り返して確認しました。また視覚的に何を優先するのかも重要です。眠る双子の横で、父と母の会話が聞こえてくること。映像なら簡単にその様子が頭に浮かびますが、これを同じ効果を狙って、素舞台に近いところでやるには、何が必要かを考えました。

また、司祭様は一体どのように祈るのか、という話にもなりました。
キリスト教にもいろいろあって、胸元で十字を切るのはカトリックと正教会、プロテスタントはそういうことをしないそうです。日本人にとってのキリスト教といえば十字、なのですが、ヨーロッパの国々にとってのキリスト教はずいぶん捉え方が違うのでしょう。

果たして「キリスト教」を「人にとっての宗教」というところまで普遍化してしまってよいものかどうか。悩みます。

悪童日記2月12日

さて2月12日の日曜日はオールスターでした。子供達のオールスターです。浜村家(舞台監督&照明)のかよこ、日置家(出演者)のちおのすけ、松本家(出演者と衣装)のすくと我が家のじうが勢ぞろいしました。すく、ちお、かよ、じうの順に、3歳、2歳、1歳、0歳です。

昔の人はこの感じで子供がいたのかと思うと、驚きます。

じうにはとてもありがたい環境で、大勢の大人と、大勢の子供に囲まれて、とても嬉しそうでした。

この日は、編成し直した台本を基に、平台の組み合わせの可能性を探るところから稽古が始まりました。例えば「死体の山」とか「大きな穴」を、平台でどうやって表現するのか、というような感じです。

頭では割と簡単に表現できるような気がしているのですが、実際動かしてみると、想像以上に難しく、割と時間をかけて探ることになりました。私がびっくりしたのは、平台だけではそう見えなくても、人が入れば一気にそう見えてくる、という面白さです。一見穴に見えないような形でも、そこに高杉さんが入って死んでみると(爆破された穴のところに兵士が死んでいるという描写が小説にあります)、そう見えてきたのです。

平台だけでなんとかせねばと思い込んでいたので、茂木さんの言うところのアハ体験になりました(ほんまか?)

稽古終了後には、全員でDM作りをしました。
松本家のすく、日置さんの奥さんのみおちゃんや、うちの夫も参加してくれて、一気に仕上げることができ、感謝です!

DMを希望される方は、郵送いたします!
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