刃更新のお知らせと抱負

またまた極私的な日記を。最近、日記はクローズドで書いていてそれがまたすごく良くて、そうすると表に出すことがほとんどなくなってたんですが、恥も掻かなくなった分、得るものもなくなったように思っています。

というわけで。

最近は、2週間先ぐらいまでのタスクをピックアップし、時生ちゃんが保育所に行っている9時から18時までの限定された時間になんとかそのタスク(台本執筆含め)こなしている毎日です。ああでもこの中に、晩御飯の仕込みと洗濯掃除も入っていますので、実質7時間です。

18時から朝の8時までは、基本的に時生ちゃんを見て、過ごします。「見て」というのは、「見つめて」という意味です。以前は時々アイパッドを見たりもしてましたが、今はもう、完全に見なくなりました。仕事は溜まりますが、仕事の面で何か不安定になることがあっても、時生という場所に行くことで、私がすっきり、元に戻るのです。

これは本当にありがたいことで、面倒を見ているのではなくて、元に戻してもらっている感じです。1歳の時生ちゃんはいずれ、私を抱きしめてくれたり、朝起きた時になでなでしてくれなくなるんだ、という刹那の悲しみも抱えながら、とりあえず会員限定販売のライブのチケット手に入れたみたいな感じで、特別感を味わせていただいております。まだちっさいので怒ることもないし。子供がこんなにすごい影響力を持っているなら、もっと早く産めばよかった、と思ったりもしますが、今だから、こう思えているのかもしれません。

さて、芝居始めてから、2012年ぐらいまでの12年間で、怒ったり泣いたりとんがり尽くした結果、その時一番大事だと思っていたものをなくし、そこから刃を抜かれた狼みたいに、おとなしくなってました。刃がない狼、つまり「犬」のような状態です。

で、犬として、ここ5年ほど、生きてきて、私は残念ながら、今やってるようにニコニコ人に尻尾振るタイプではないな、ということがつくづくわかり始めました。「化けの皮が剥がれた」という表現がぴったりです。

でも同時に、ただ闇雲に噛み付く狼ももう、やだな、と思っている自分がいて、機能の高い刃を持つ尻尾フリフリ犬ってどんな感じかなー、いや、それだとやっぱり怖い、とか、犬の着ぐるみ着た殺人鬼を想像してしまってぞぞっとして、でも、パンダみたいに見かけは可愛いけど実は猛獣、というのもまたちょっと違うし(なんせそれやと近寄れへんし)、ライオンもゴリラも怖いし、ウサギは可愛いしカマキリは臆病だし、で

良い生きものがあったら、また書きます。

でも、こういうの若い頃からできてる人ほんと尊敬するんだけど、ちゃんと刃があって、それでいて、いつもニコニコしてるってこと。ある程度近づいても大丈夫で、でも物事の真偽はしっかりと見極め、己がいかにマイノリティであるかを知る人。こういう人にトランスフォームしたいなって思ってる自分が最近います。

もちろん刃がなかった頃の私も割と良かったと思っていて、信念とかグラッグラだったけど、夫とも出会え、子も生まれ、何より最初の12年間の時と今とでは付き合う人は全く変わっているわけで、それはやっぱり、刃がなかった頃を経てのことで。

ただ、刃がなかった時期に仲良くなった方々の8割は、今、離れていってるという現状も踏まえつつ、でも、よかったと思ってます。

以前の刃は人を傷つけるための刃だったけど、新しく手に入れた刃は人を救うための刃なんです。

という良いセリフは、私の脚本には絶対出てきません。

で、ですよ、こういう、自分の内面ばっかりに興味があるような状態だと、ずっと、私小説的な芝居打つしかないんだろうなーとか思っていたんですが、まあ、そんなに激しく人を傷つけることもだいぶ減ったし、その分、それが創作に転換できるようになってきたので、これからの自分の創作がやっぱり、楽しみなんですよ!

誰かをまっすぐ助けられるほど、まだ力はないけど、フィクションの世界を立ち上げることで、誰かが癒される、というサイクルを生み出したい。そこの力が十分でないままに、自分の能力を切り売りすることには、まだまだ没頭できない、ということがこの5年でよくわかりました。

会社を経営することになり、会計士さんにアドバイスいただく中で、そういう思いがより、強くなってきました。

もちろん以前から目指してはいたんですよ。他者に送り届けること。エンタメ系の方達とは、逆回りでそこを目指しているんだ、という自負については、それこそ20年前からあります。でも、今、より明確に、「創作」ということが、私の武器なのだ、と今、思ってます。

よかった。ここまで書けた。

でも、自分で運転しない人には興味ありません。誰かを車に乗せるのではなく、すでに自分で運転している人と協力しながら、大きな絵を描いていけたら良いなあと思っています。