アトリエ劇研と時差

今日はアトリエ劇研最後の日。私は夕方からじうのご飯と夫のご飯をそれぞれ作り、じうのご飯はお弁当にして保育所へ向かった。じうは私を見て、手を叩いて喜んだ。私たちは自転車に乗り込み、40分ほどかけてアトリエ劇研へ向かった。

道中、豆乳ととうもろこしと一口ハンバーグを食べながらじうは初めての長丁場のサイクリングに挑んだ。サイクリングには最高の季節になりました。

劇研に少しだけ顔を出したんだけど、2週間前の最後の公演の際に散々遊んだ場所だったせいか、私と離れてもビクともせず、じうは劇研を歩き回った。私のことも、声をかけてくれたいろんな人のことも、目に入らず、その場所がその日で最後であることも知らない彼は、何度もこけ、劇場の扉をこじ開け、自動販売機をバンバン叩いていた。

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その後じうを夫の職場まで連れて行き、夫にじうを預け、そこから単身三条商店街へ向かった。観たのは時差『隣り』@green&garden。劇研制作だった長澤くんが代表を務めている。

帰ってから読んだパンフレットに「この映画がもし、これ見よがしな悲劇によって皆さんを楽しませようとしたのであれば、私たちに苦情をお願いします」と書いてあった。その通り、泣けるところなんぞ一切なかった(泣くつもりもなかったが)。むしろ集中しないでね、と言わんばかりの手ぶれ感満載の、でも時折マジで笑ってしまうシーンありの、そしてちゃんと私の感じた違和感を回収してくれる映画になっていた。

回収してくれることが私にとってどういうことかと聞かれたら、それはやはりカタルシスであったように思う。要するに映画の中に出てくる、統合失調症による「幻聴」や親族による病人への「感動的なセリフ」は、一瞬、ガリガリ君にクリームシチュー味が出た時のような、いやもっとだな、キシリトールガムにおでん味が出てしまった時のような違和感を感じさせるのだが、それはこの主人公である統合失調症の桜ちゃんが、元演劇部であることと関係している。つまり友達や家族に「セリフを言ってもらっていた」ことが後々分かるのである。彼女は高校生の時演劇部で、今でも演劇がやりたいと思っているらしい。そして「ノブ子に愛を」というタイトルで脚本・演出を担当し、友人と映画を撮った。その「セリフ」なのである。

ちなみにこの映画は城間典子さんという方が編集をしていて、これは彼女が仕掛けたものなんだと思う。桜ちゃんは統合失調症という病を抱えているからこそ、演劇という行為で自分を癒そうとしている、そういった割と手垢のついたメッセージまで内包している仕掛けだった割に、なんだかフレッシュで、気持ちが良かったのは、おそらく、桜ちゃんが脚本・監督をした作品を、城間さんが編集したからなんだと思う。

パンフレットを読まずに映画が始まった瞬間から、「統合失調症をテーマにされると妙に冷静になってしまうわ」という自分と「精神病って覗き見したくなるよね」という自分を発見していたのだが、それはやはり私自身が、20代を精神的に非常に辛い状態で過ごしたせいであり、やはり40歳の今、それを乗り越えてしまったというのか、忘れてしまったというか、つまりそういった「精神的な問題」から距離ができてしまったせいだろう。だからもし、ただ、統合失調症の女の子の1日を、下手な演技で見せられてたりしようもんなら、多分、退屈していたと思う。いや、退屈というより、知ったかぶりな自分が楽しむことを邪魔していたと思う。でも見終わった後、そんな知ったかぶりはする必要がなかったし、もっとおかしくなってる瞬間を見たかった、とか、幻聴の内容を詳しく教えてほしいという感情も生まれてこなかった。

主人公の桜ちゃんの顔に中毒性があるのである。最後に出てきたときなんか、全然普通じゃないように見えるその顔が、とても綺麗で目が離せない。時々、静止画を見せられて延々と会話だけを聞かされるシーンが幾つか挿入されていて、「待て」の状態が続くので、その後に桜ちゃんが出てきて喋ってくれると、砂漠の中で水をもらったような状態とでも言おうか、とにかく桜ちゃんの動く顔に夢中になってしまうのである。やらしい仕掛けだと思った。まんまと乗せられてたけど。

ていうか、今でも桜ちゃんにちょっと、会いたくなっているぐらいだ。うーん、顔が魅力的だったと書いたけど、結局彼女の言動の中に何か惹かれるものがあったんだろう。

手相占いのおばさんが「28歳までに資格を取れ」って言ってたのがツボだった。桜ちゃんの「演劇」という言葉を聞き取れてなかったのもよかった。20代の頃に幾度かネズミ講やエステや宗教に勧誘されたことを思い出した。私は喧嘩を売って撃退してたけどね。桜ちゃんのような素直さや優しさはなかった。

帰宅したらじうは寝ていて、夫がご飯を食べていた。劇研のことをもっと書こうと思っていたんだけど、ほとんど時差の話になってしまった。

結局、劇研がなくなること、まだ実感がわかないままだからだと思う。またいつか、あのあたりを偶然通った時に、そこにあったはずの劇研がなくなっているのを目にした時に、何かこみ上げる日が来るのだろうか。とにかく今は、こんなにもお世話になったのに、何も感じない。ただあの場所を作ってくださった波多野茂彌さんと、あそこで出会った全ての方に、感謝している。特にディレクターを務めた田辺剛さんとあごうさとしさんには、感謝の思いしかない。ありがとうございました。おつかれさまでした。