本当はこうしたいのに、そうならない理由は何か。
そういうことを知ろうと思ったら、
まずは自分の中にある、知らぬ間に固結びされた糸を解きほぐす必要がある。
そうかそうか、これか、と思って解こうとしても思った以上に固くて、最初はまるで、真っ暗な井戸の中に放り込まれたような気持ちにさえなるかもしれない。
だめだ、明るいところに逃げ出したい。空気が薄い。寂しい。と感じる。
だけどそこはふんばって、何としてでも解いていく必要がある。
一生懸命糸をほぐしていくと、自分の無意識を育てた人に対して猛烈に怒りがこみ上げてくることもあるし、失ったものを、こうすれば失わずに済んだのか、と知ることができることもあって、
いろんな感情が浮かび上がってくるけど、その都度、それを表へは出さずにまず見つめて、分析して、紐解いていく。(時々表へ出して一戦交えてくることもある)
なんとか踏ん張って、解けたとき、はっと気がつく。
やりたいことが、形になっている。
やりたい人と、組んでいる。
プロセスを楽しむことができるようになっている。
それができるようになると、自信が手に入って、
自信が手に入ると、自分を好きであるということと、自分の行動を批判するということが共存することもままある、ということが受け入れられるようになる。
自分への絶対的信頼感と愛を損なわずして、自分の行動を厳しくチェックできるようになってくると、それを他者への反映できるようになる。
確かに、教育の本には、6歳までの子育てが、その子の人生のすべてを決めると書いてある。
だけど何歳になってもやり直せる。
てか、そうじゃないと、生きていけない。
私はこれからも、ほつれている部分を探しては、それをほぐす作業を繰り返していく。
こんな抽象的な説明で、何がわかるというのか、と書いてから思ったけど、ほんま、最近、こんな感じで生きています。