この日は午前中、青木さん、じうと3人で毎日新聞社へ。
長いお付き合いになる記者の畑さんに、取材していただきました。
畑さんは、関西の演劇界を暖かく包み込んでくださっている方。
この日も、取材の前後でいろいろと世間話をしながら、創作活動を続けていくためのたくさんのヒントをいただきました。
この間、出演者は私抜きで、私の送った「ユダヤ人の生き残りの子供達」のシーンを読み合せし、それからラストの父が国境を越えようとするシーンの動きを試してくれていました。
私が稽古に遅れて参加した頃には、高杉氏、日置氏の二人はすでに抜けており、3人プラス演出助手の下野くんでユダヤ人の生き残りのシーンを作ることになりました。
ユダヤの生き残りのシーンは、当初、全く挿入するつもりがなかったシーンなのですが、通しを経て、私の中で候補に浮上しました。彼らはおそらく、お金持ちのユダヤの人の子供で、密かに待ちで集まりながら、終戦を待ち焦がれています。収容所送りになった両親のこと、レジスタンスをしている両親のこと。絶対仕返しをするぞと言いながら別れ、惹かれあった男女でセックスします。
アゴタクリストフが、どこかに「恋や愛なんてない。あるのは性欲だ」というようなことを書いておられて、
まさに「悪童日記」は、性欲が裏テーマのようになってもいて。
私、この若いユダヤ人たちのセックスは、希望だ、と思ったのです。
彼らはこの時期、無残な殺され方をして、民族を消されそうになりました。
でも、彼らは滅亡しません。
それを支えているのは、性欲なんです。
そういう目線で、このシーンを綴りました。