悪童日記2月24日

この日は、午前中、「ドイツ人」と題したシーンの稽古。

ドイツ人は、これまた日置さんの担う役です。ユダヤ人と表裏一体の存在、集団です。
ユダヤ人の時に迫害された日置さんが、今度は国の運命を握る存在になります。
多くの民衆の命をどうにでもできるという存在になってしまう。
それは、「虐殺される」ことと、同じぐらい、不幸なことのように、私はこの小説を読んで感じました。

というのも、
誰かを笑顔にしたら、まるで自分のことのように嬉しくなる。
のと同じで、
誰かを泣かせたら、表面的にカタルシスを感じても、自分に「悲しい」というメッセージを送ってしまう。

大勢の人を虐殺するということは、
自分を何度もなんども、虐殺することと等分。だと思うのです。

まさにこの小説の「将校」の存在です。
将校は鞭打たれ、おしっこをひっかけられることを望みます。
そうすることでしか、自分たちの行いを消化できないのです。

こういうことを、この「ユダヤ人」からの「ドイツ人」で表現できないものかと考えています。

そしてその後、双子が刑事に出会う、「刑事」というこの芝居一長いダイアローグの台詞合わせ。

昼からは、「ドイツ人」のシーンのセリフを、行進のリズムと合わせる作業をしました。

行進しながら台詞を言うと、中途半端に台詞にリズムがついてしまうので、いっそ、すべてにリズムをつけることにしました。


病み上がりのじうでしたが、その日の出演者全員とがっつりコンタクトしていました。