悪童日記1月7日

昨日、お出かけの帰りのバスの中。満員で、ほとんど身動きが取れない状態(ここ数年、観光客の数が激増し、市民のバス利用は大変困難を極めております]の中、突如、アラウンド80と思われるおばあさまが、周りの乗客を押しのけてじうの足をつかみました。

「裸足!」
「は、はい」
「冷た!」
「そうなんですよー」
「風邪ひくでこんなん」
「はい」
「大人だけぬくいぬくい格好して」
「え、えへへへ・・・」

おばあさま、満員の乗客をかき分け何をしに来たのかと思えば、じうの足のことを心配して親の私たちに注意しに来たのでした。

ちなみにじうちゃんですが、普段はもちろん靴下を履かせております。この日は事情があって、偶然裸足だったのです。しかし、世界に散らばる赤ちゃん親衛隊の目はごまかせませんでした。スピードを出した日に限って切符を切られるのと同じですね。同じかな。

私も将来、ああいう感じで親衛隊に入隊するのでしょうか。少し不安です。

さて、今日の稽古は、午前中、私抜きで、「双子は離れ離れになると生きていけない」ということを表す動きのようなものを作ってもらいました。昨日のメンバープラス達矢さんだったので、より多くのパターンを作ってもらえました。ただその振り付けも「振り付け」としてやるのか「その瞬間に起きたこと」としてやるのかでずいぶん見え方が変わってくるように思いました。

セリフもそうですが、

決まっていることをただ単純にこなすのと、
その時その瞬間にその言葉を発するように意識するのとでは、雲泥の差です。

少し意識を変えただけで、面白い瞬間が増えました。

そのあと、この小説の中でも最も重要なシーンの中の一つだと私が思っている「靴屋さん」のシーンについて、まず話し合いを始めました。

理不尽な死を、ルーチンワークをこなしながら待つ気持ちについて。
こだわっていたことを簡単に手放すことについて。

いろいろと意見交換を行いました。

また、私がとても残ったのは「絶対に必要なものだから無料であげる」「嫌なことは言わなくていい」というセリフです。

絶対に必要なものは無償で手に入る世の中にならんものだろうかと思うせいでしょうか。
ルールとか、礼儀作法とか、そういうことを飛び越えて、双子を尊重してくれた靴屋さん。

なんだか現代の私たちの生きる導になりそうな言葉たちです。

話し合いの後、実際にこのシーンを、小説の中のセリフを使ってやってみたり、設定だけ残してセリフはエチュードで作ってみたり、いろんな方法で立ち上げようとしてみました。

結果、

普段の私たちの体は、思った以上に、言葉以上に、よく喋ること。
それがセリフ劇になった途端になくなってしまうこと。
しかし、体は言葉と連動して動くものなので、動きだけを抽出するわけにはいかないこと。

ということが、まるで山の中の茂みの、大きすぎる丸太のように、あるいは深さの知れない沼地のように、私たちの行く先を遮ってきました。

さて、どうするか。

サファリでは、セリフ劇を採用しようとすると、毎回たくさんの難題にぶつかります。
今日も、結局、二進も三進もいかなくなりました。
しかしこの山は、本番までに必ずや上る必要のある山です。
明日以降も、課題となっていくことでしょう。

最後に、おばあちゃんの家とその周りの場所を説明するシーンを、昨日と同じルールでやってみて、稽古を終わりとしました。