アイホールのウェブサイト上に、これからアイホールに登場する三劇団の鼎談の様子が掲載されています。
こちら
この記事を読んだ、ドラマドクターしてくださっている胡桃澤さんが、「山口さんは境界性人格障害じゃないですよ」「そもそも境界性人格障害って言葉はもう誰も使いません」とおっしゃいました。(胡桃澤さんは劇作家でありながら精神科医でもあります)
医者の理解を超えた思考や行動を起こす人の事を、そうやって名付けただけであって、名付けた事による弊害もあり、現在はそういう風なカテゴライズを避けているとの事。
なるほど。
ネット社会ってやっぱ弊害もありますよね。
すぐにこういうの調べられちゃうから、私みたいにすぐに見つけて名付けてしまう。
という訳で訂正です。アイホールの鼎談はあのままですが、合わせてこのページ御読み頂けると幸いです。
胡桃澤さんのおっしゃるように、今の私は、境界性人格障害の症例のようなものに全く当てはまりません。でも20代の時は、全部じゃないけど所々、「これ私や」と思う部分がありました。
特に強かったのは、常々襲いかかって来る「空虚感」歯止めの利かない「自己を損なう行為」「見捨てられ不安」そして「すぐに感情的になる」という部分もそうかも。
空虚感を埋める為に手っ取り早く過食をしたりして、身体が辛くなり感情的になり、でも去られる事に極度の恐怖を抱き、その為に自分からさよならをする、離れて行く、なんてしょっちゅうでした(人に去られる事が恐いから自分から去るってむちゃくちゃやで)。
でも今はそう言う部分がほとんどありません。
だから私も、「私は昔から健全です」と言いたいし、言ったって分からない人には分からないままで信じてもらえると思うんだけど、その方がかっこいいいしなんかすっきりしているし、でも敢えてこういう風に公の場で伝えるには理由があります。同じ生きづらさを感じている人達に、こんなんでもなんとかやっていけるんだよ、と伝えたいんです。疾患を言い訳にするなという激励もこめています。
今書いている「つきのないよる」はまさにこういう自分が一歩間違えて犯罪を犯していたかもしれないという想像から作っています。実際には犯さず、可能性すらなかったかもしれない。でも、この事を書きたいと思った原因になった。この作品は、私の生きづらさの記憶なんです。
という訳でああいった鼎談となりました。
ちなみに私に一番効果があったのは、賞を穫る事でも、台本を書き上げる事でも白馬に乗った王子様に出逢う事でもなく、糖分を控える事です。別にご飯は食べていいし、甘いものも時には美味しいです。
だけど、糖分だけの食事が3食続いたりするのだけは避けた方が良いわ。うどん、パン、おにぎり、とか。で合間にバナナ食べたりアイスクリーム食べたりとか。あと野菜ジュースもヤバい。カロリー計算して大丈夫と思っててもほとんどが糖分だと逆効果というね。(特に液状の糖分が一番キツい気がします。その次が単糖(果物とか))
これを避けるようになってから、精神がものすごーーく落ち着くようになりました。常々困っていた日中の殺人的な眠気が全く無くなり、歩きやすくなったし、夜まで身体が持つようになった。あと、18時以降の食事もなるべく避けると睡眠で疲れがとれるようになりました。
気持ちを気持ちでなんとかするのは絶対無理。
気持ちって身体。
身体って食事や環境や、気持ちに影響される。
全ては繋がってますね。
今苦しい人が、癒されますようにと、いつも願ってます。私もしんどかったからー。