月別アーカイブ: 2015年4月

テーブルを壊す熊

人生はコントロールできるのかどうなのかという事を最近折に触れて考えてて、
結論から言うとコントロールできる訳がないし、でも自分ではコントロールしているつもりでいるし、という考えに今落ち着いてる。

目の前で起きる事ひとつひとつは自分が考えて行動して出した(つもりの)結果でも、
それが積み重なっていくとある時点で想像もしてなかったところに流れ着いている事に気づいたりする。

それで振り返ってみると、自分が気がついてない大きな力にその都度ジャッジが左右されていた事に気がついたり、

だからといって見通しを完璧に立てる事等不可能に近く、
頭で支配しようとしたら身体は全力で反抗してくるし、
だいたい、何もかもを完璧にこなしたと思ったら、天変地異で全て一瞬にして崩れ去る事だってままある。

こうやって書きながら考えているとやはり、
頭でなくて身体の感度を上げておく必要があるんだなと思う。
もちろん色んな書物の受け売りなんですが。

時々会うパワフルで魅力的な人って、
身体と心が見事に連動していてよどみがない事が多い。
でもそれが若い人の場合、年を重ねるうちに身体が老いて行って、これまで無自覚にできていた事ができなくなったりする例も沢山みてきた。

私に関して言えば、若い頃から身体と心はいつもチグハグだったし、
全く連動しない中で、身体を犠牲にして無理矢理、頭だけで動いてきた。
その代償として数年前に色んなものがはじけ、
ボロボロに砕かれ、心の破片を集める気力を失う中、身体が「まだ生きたいねん」と私を引っ張って行ってくれた。という感じか。
まあ、分からんけど。

でも連動するようにはなってきた。
というか無理に動かなければ、普通に連動はするんだなあ、身体と心って。

でも連動させる事が最近できるようになってきて、改めて思うのは、
やっぱり、どこかで意志の力を発動させて、無理しない程度に、身体を鍛えて行く必要があるという事だ。
そういう見通しを立てる事に意味がある。
何が起こるか分からないとしながらも。

鍛えるのは筋トレとかそういう限られた意味ではなくて、もっと幅広い意味で。
それで、身体の、私の場合で言うなら心肺機能を向上させる事に寄って(これはアレルギーのせいなんです)、心も強化していくということが必要なんだろう。

与えられたものに安穏としたがっているだけではやっぱり、
何か大きな強いものに、流されていってしまう。

既に持ち合わせているもののすごさにまず気づいた事は褒めてあげたいが(自分を)、
そこからもう一歩、自分の中での上に踏み出していかねばならんと思う。

でもそうする事で、私は、
創作者としてももう一歩踏み込んでいけるんではないかと思うのです。
そうやったらええなあ。

昨日おうちに、梶川君がコンタクト(コンタクトインプロヴィゼーション。ダンスの一種)で出逢ったフィンランド人のKと京大生のTが遊びにきてくれて、みんなで餃子を作りながら話をした。衰えた自身のフィンランド語の筋肉に愕然としながらも、英語で会話の橋渡しをする事ぐらいはできて、その中で英語で喋る時の自分の頭の回し方についてとか、Kの祖父がユダヤ人である事とか、色々深い話ができたのがよほど楽しかったのだろう。

夢の中で私は自分の右側にあるリトアニアのある町の風景が描かれた絵画を眺めている。
だれかが「リトアニアという国は今経済的に破綻しているので、この通りお店が全部閉まって人通りもほとんどないのです」
と私に説明してくれるのだが、

私は心の中で「うそや、これは冬のヨーロッパのありふれた日曜の風景だ(元社会主義国は日曜はスーパーが閉店する事が多い)」
と心の中で反発しながら

ふと左を向く。

すると町には沢山の人々が凍えながらもスケートをして楽しんでいるのだ。
お店は絵にあった店以外はみなオープンしていて活気がよく、
ひとりのリトアニア在住の日本人がチョコレートを店主に注文しながら「ほんと寒いわね」と話しかけてくれた。

意味分かる?

私、いつの間にか絵画の中に入り込んでいたのです。

こういう演劇がしたいのよね。

起きたら軽くフィンランドシックになってて(昨日フィン語を話したせい)
Miesten vuoroというドキュメンタリーをYouTubeで観て、
胸を締め付けられてる(フィン語が聞きたかっただけで、おじさんの全裸が観たかったわけじゃない)


特にこれ最後に熊が出て来るのでちょっとみてください。熊がテーブルを潰してる。
最後に「潰れた・・・」とおじさんが呟く。

なんじゃそりゃ。

深夜のファミレス

ファミレスで18時から夜の1時半まで、40歳目前のおじさんと8時間もジュースだけで喋り倒した。

保険の勧誘とかではない。
恋愛の駆け引きでもない。
もちろんお金の貸し借りでもなければ儲かる仕事の話でもない。
私も40目前のおばさんなので、ちょっとやそっとのことで我を見失ったりしない年頃だ。
あ、年齢じゃないか。40過ぎても不倫に夢中になる人だって消費者金融に大借金する人だっておるんだものな。
人生何が起こるか分からないし自分にだって何が起こるか分からないけれども、それでも、

それでも、私いま、割と地に足はついてると思う(と思ってた矢先に穴に落ちたら哀しいな)。

その状態で8時間しゃべりたおした。
まさか8時間経っているとは思わずに。

ああ、20代の頃より明らかに体力がついたし、
言った事を行動に移せるようになったなあ。
自立してから痛みも沢山経験したしなあ。
でも今回の奇跡は、私というおばさんも、目の前にいるおじさんも、それが全く同じ状態であるということだ。
何かを一通り経験してきた二人が同じレベルでそこにいたということ。

(親の保護下にある時に感じる痛みというのは実は、本当の痛みではないのかもしれない。
いや、ウソか本当かという話ではないな。ただ、甘えが許されているかどうか。痛みを治癒するのは私以外の何者でもないと言えるかどうか。そう言う意味で、私も父や母のせいにできない種類の痛みをじっくり経験した)

いろんな人を傷つけ、目先の誘惑に惑わされ、ふわふわと浮いた状態で大きな口だけ叩いてた頃には、
ファミレスに8時間いることはあっても、いつも、退屈だった。

私はこんな所にいる人間じゃない。
本来もっと注目されるに値する人間だ。
こんな田舎の、観光客もまばらな和食のさとで、私はジュース片手に何をしているんだ!
つまらないからカラオケでもいく?

というジレンマなら20代の頃にいくらでも感じてた。
(そうじゃない20代がいる事は知っているしそういう20代のことを私は尊敬しているぜ)

でも今回のはそうではなくて、
私の目はキラキラしてたし、おじさんの目もキラキラしてた。

それはずっとやりたくてできなかった事が、ついにできそうな気がしているからだろうか。
それが奇跡的に合致したからだろうか。
合致しただけでなく、それができる実力を遂に兼ね備えている自信から来るのだろうか。

語るのは簡単、実際にやろうと思ったら果てしない作業である事もまた、自覚しながら、
それでも挑戦したい、と思えている事に、ワクワクしてる気がする。

帰宅して、すぐに眠れる訳がないと思っていたから、
もうかれこれ10時間以上何も食べていない事をも忘れて本を読んだ。

これまで寝食を忘れて何かに没頭できることにこれまで憧れてきた。
私にはそれができなかったので。
だから自分がそう言う人、つまり今回のファミレスのおじさんと一緒に何かを創る事ができる。
そして、私も又その人にインスパイアされてそういう行動になっていることが嬉しくて
ここに書かずにはおれないのだ。

書いている時点でまだまだものにしていないことも分かりながら、
でも私、昨日は本当に、寝食を忘れて話し、本に没頭する事ができた。

私だって誰かに影響を与えたい。
誰かに影響を与えられたい。
そしてできることならそれが等分であってほしい。
一方的に与えるのでも、一方的に与えられるのでもなく。

(もちろん、誰かに与えられつづけてきたことを、別の誰かに与える事は、おかしな事じゃない。AにもらったものをBに渡して行く事は、人類の営みとしては至極真っ当なこと)

昨夜の深夜のファミレスがジョブスの自宅のガレージに思えて仕方が無い。

過信だけは治らんな。

忘れ去られた場所で

やるべきことも色々あるのだが、
とにもかくにも暫く穏やかな日々。

とはいえ、とある身体の辛さを今抱えていて、
何せ「痛い」。それも内部の痛みではなくて、喩えて言うなら全身皮膚を擦りむいた状態。
ヒリヒリヒリヒリ、眠れない。
起きるのも一苦労。痛みを自覚する瞬間だからだと思う。
起き上がりながら「ああ、今日はこことここがヒドい」と思う。それが辛くて中々身体を起こせない。
やっと起きたとしても、服の着替えに手間取る。角度によっては激痛が走る。
痛い。

でも着替えて出かけてしまえば何という事もなく、1日を終える。
身体には本当に感服するのだが、日中、少しずつ傷をふさいで痛みをとっていってくれるのだ。
朝いたかったところも、夕方には無くなっている。自然治癒力とは本当にすごい、からだ、すごい。

そしてまた、夜になり、ベッドに入ってからが辛い。
傷つけ作業が始まる。
眠れないし腕も指もパンパンになって、
身体をよじりながら傷つける。うーむ。何の為に身体はこんな事をしているのか。
分からないけど、そうなるんだから仕方ないと思ってる。
この辺、私は諦めていて、治す手段をネットで検索しまくったり一切しない(昔はしてたよ)。

身体は私よりずっと賢いということを、知りましたので。
必要だからやってるんだろうし、だからといって寿命が延びているわけでもない。
結局いつか死ぬ。
理不尽こそが人生。

眠れないと言いつつ、時々落ちて寝ているみたい。
でも一晩中眠れないと感じる事も多い。

そしてまた、ヒリヒリの朝。

しかし、昨日、1日中外で歩き回ったら、夜、ぐっすり眠れて、朝、痛みがとても少なかった。
新陳代謝を高めれば皮膚はいつもより速いスピードで修復されていく。そのスピードに壊す作業が追いつけなくなると、身体は自然と治って行くんだと思った。それに、身体が疲労していると、頭が疲労しているときより明らかに眠りの質が良い。

分かっていたけど、こんなに切実に歩かねば、歩き回らねばと思った事もこれまでない。
辛くない時の事は思い出せないけど、やっぱりここから逃れられるなら逃れたい。
それにネットで調べた知識でなく、身体で知った事実はつよい。
創作をする上でも、定期的なリズム運動は必要な気がしていたので、頑張れる予感。
予感で終わらない事を祈って。

お芝居と映画ばかり最近観ているが、
キヤマニアの帰山ちゃんの身体にみとれたことが強く残ってる。
いま、私からだがボロボロなのもあって、あの透明感のある身体に癒された。
鎮魂だな、とみながらおもった。
帰山ちゃんがそっと、観客の足元に明かりを置いて行くとき、私達は逃げられなくなって、
そして一緒に魂を沈める儀式に吸い込まれて行った。

私のうしなったもの、帰山ちゃんのうしなったもの、あの場所がうしなったもの。
私がいま、傷つけているもの、損なっているもの、何もかも全て、しずめて、また明日からも私達はただ、生きて行く。

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絶叫

赤ずきんちゃんから続いた怒濤の公演&ワークショップラッシュが終わって、
ゆっくり寝たら、18時間経過。まだこんなにも眠れる体力があったのか、38歳私。

なんとか、中村さんと藤木さんのミニコンサートだけ聴きに行く。
ひさしぶりに増田さんにも会えてうれしかった。

寒い冬に、凍えながら撒いたチューリップの種が、いま、こんなにも咲き誇って、それを観て、ぼうっと幸せな昼下がり。
ようやく小説を読める頭に戻ってきたので、途中で閉じていた葉真中顕「絶叫」をもう一度あたまから読み始める。この小説は冒頭から、まるで私がモデルなのではと思うほど私の人生と主人公の女性の人生が酷似していて恐い。いや、もちろん、違う部分もあるんだけど、思い込み出したら止まらない。

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仕事に追われている時は小説を読めないので、脳の本とかを読む。池谷裕二さんの本をだいたい持っているし何度も読んでいるが、それをまた読む。何度よんでも「ほう」と思う。が、風呂を出たら本を閉じる。

忙しいときなぜ小説が読めなくなるのか考えてみると、やっぱり、読みはじめたら本を読んでない時もその世界が日常を支配してくるからだろうと思う。その支配が普通なら心地よいから読書をするんだけど、仕事に追われている時は小説に支配されるのが難しくなるのか、それとも支配されたら仕事ができなくなるのか、そのどちらかである事を察知して、私は多分、小説を読まなくなる。

小説を読めるかどうかは私が日常を丁寧に生きているかどうかの試金石ぽい。
それに比べて花を愛でるというのは、例えしんどいときでもできるので、欠かせない。やっぱりオーガニックというのは凄い。
たいして小説は私の身体を通してのみ、オーガニックになり得る、それはそれですごい事だと思う。

むかしは愛されたいだけでした。

私、表現できない事を表現したい。

愛してるつもりだったのに相手が傷ついてしまったり、死んでしまったりする。
愛し方を間違えて、相手が去っていって、それで初めて、自分にとっての「愛」が相手にとっての「愛」と違っていた事に気づく。なんて辛い事だろう。

それをどうやって叫べばいいだろう。
誰になんといって分かってもらったら良いのか。
加害者の私は、自分が相手につけた傷の事を思い出して、毎晩自分を責める。

愛していると言いたいのに、もうその人はここにいなくて、
追いかける事もできない。もうこれ以上傷つけない為に、自分が追いかけるのを防ぐために、相手を冷たく突き放した最後。

こういう愛憎系ドロドロしたのはかっこわるい気がしてしょうがないのだが、
私が書きたいのはここだし、ここにしか琴線はない。
この一年はもっとそこに切り込んで行きたい。

良い作品を創りたい、一生かけて創りたいと思える事が、とても嬉しい。
むかしは、ただ愛されたいだけで芝居創ってたので。

今はー

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An Object Tells終わりました!

An Object Tellsにご来場下さった皆様、関係者の皆様ありがとうございました。

去年秋ぐらいからの怒濤の公演&ワークショップがようやく、一段落しました。
相変わらず自分を忙しくするのが好きなようで、扱いに困ります。
なんとか50歳になるまでには、忙しさの原因が整理されている事を望みます。

今さしあたってワクワクしているのは、
つきのないよるの書き直しと、An Object Tellsに続く作品の執筆です。

最近ほんとに、アフタートークを褒められます。なんなら芝居よりアフタートークを褒められます。ある時からそうなりました。私の中で、どうしてそんなに褒められるようになったのか、はっきりしているのですが、にしても褒められ過ぎだろう。このペースとテンションで芝居も褒められたら幸せだなあと思いながら、人生はそう上手く運ばず、ただただアフタートークを褒められる日々です。

ワークショップ@立誠小学校

今日は、トリコ・A × CHAiroiPLIN 【安部公房作品 合同上演プロジェクト】の関連企画として、ワークショップをさせていただきました。皆さんとっても素敵な方ばかりで、楽しかったです!

ひとり、「体とセリフがとても連動していますね」とお伝えした男性の方が、今さっきマジシャンであることが発覚。そら連動してるわ、それが仕事やもん・・・プロに向かって生意気な事を言うてしまいました。

立誠小学校の周りは、散りかけの桜でこれまたとても情緒があります。
9日からの本番、お待ちしています!

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チューリップ咲いたー

人に何かを伝えるとか、何かを教える事が、簡単にできる事だと思ったら大間違いだなという事。

それから、被害者モードでなく、加害者モードで生きて行きたいという事。

最近はこの2点を体で分かる為に、春雨の中、集中している。

あれだけ言ったのに分かってない、とか、
私がやったほうが早いから、とか、
あの人なんであんなヒドい事いうのん!?なんで連絡くれへんのん??となって
それが被害者意識につながっていく。

これを見誤ってこじれる事がこれまでの人生でありすぎて、
ほんと危険。

まず生きているだけで自分は迷惑をかけているんだっていう前提がある。

その上で何か伝えたいとか、教えなあかんシチュエーションになったら、
想定の何倍もかけて言葉を尽くし、やってみせて、やってもらって、伝えるのってとにかく時間が必要。

教えるのって、大変やから私、ずっと避けてきた気がする。
それで色々、傷つけた人も多いだろう。

私の右側の髪の毛のクセみたいに、しつこくて大変なのが被害者モード。
気がついたら元に戻る=被害者モードになるので、その度に、
ちがうぞ、お前、だいぶ周りに迷惑かけてるぞ、と言い聞かせる。

スピーディに生きようとするとこの二点が完全に欠落するので、
私はなるべくゆっくり生きねばならん。

そもそも父母に下の世話からご飯まで全部やってきてもらって大きくなったんだから、今度は自分がそれをかえしていかなあかんと思った。

自分が子育てしてなくても、
そうやって返して行く恩というものを、人間は背負ってると思う。

2015年度の目標は、

1/人に丁寧に仕事をふる事。
2/被害者モードになったら、意識して加害者モードに切り替える

果たして茜ちゃんにそれができるかな。
がんばるわ。私の事だから、多分がんばり度数はテキトーになると思うけど。

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チューリップ咲いた!奥のやつもちょっとずつ頑張っているようだ。

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アンオブジェクトテルズ。

なんかエンジェルスインアメリカのセカンドアルバムみたいやね。
エンジェルスインアメリカは音楽じゃないけど。

毎日私のむちゃぶりに、笑顔で答えてくださる5人の男性陣。
そしてピッタリ寄り添って、爆発的なアイディアをくれる天才衣装作家、詩恵ちゃん。
自由に稽古場をかけめぐるすく。
すくは1歳児らしくいつもあっちへこっちへユラユラ揺らいでいるので、
そのゆらぎをもらえてええかんじ。

アイディアは脳が揺らいでないと出て来ないんだって。

稽古場行き詰まったら幼児を稽古場に投入することをお勧めします。

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