山口茜の日記」カテゴリーアーカイブ

整理好き

まだ生後一ヶ月半にもなっていないのに、体重が6キロになってしまったじうちゃんの母です。

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今日は初めて、抱っこで寝かしつけに成功し、少しだけじうちゃんとの生活に自信がつきました。
(それまではすぐにパイに逃げていました)

それでも夜の寝かしつけは添い乳です。
これで朝まで静かです。

添い乳しながら片付かない部屋を見つめて、ふと「私は整理することが好きなんだ」と自覚しました。
「は?」と思われる方がいたら、その方は私のことをとてもよくご存知の方でしょう。

私が整理好きなわけがない。
だって、何もかもがとっちらかってるから。
思考も発言もカバンの中も作品も。

確かにそうです。とっちらかっています。
なんならそれが持ち味ぐらいの勢いですね。

それでも、私は整理することが趣味と言っても過言ではありません。
誰も整理がうまい、とは言って無いのです。
ただ整理することを想像すると、ワクワクするんです。
そしてひたすら整理に没頭できます。でもなぜかいつも、迷宮入りするんですが・・・

ただ、ここ数年は迷宮感が減ってきました。

家の中がまず少しずつ、生活しやすいように片付いてきました。
カバンの中からは少しずつ、わけのわからないアイテムが減ってきました。
まだまだ思考や発言にはとっちらかった感じが散見されますが、
それでも頑張って、整理された作品を上演しようと日々頑張っています。

きっと整理するのが上手な人は、整理することをわざわざ「好き」とは言わんのでしょうね。
それが自然だから。
私にはない要素だから、憧れるし、好きだ、と言い切れるんでしょう。
私にとって整理が自然となる日は果たして死ぬまでにやってくるのでしょうか。

わかりませんが、頑張ってみたいと思います。

OUR BABY

あっという間に出産から1ヶ月経ってしまいました。
身体的にはお世話が大変なぐらいで、後歩く体力が戻ってないぐらいで割と元気です。

うちにいる子はじうという名前です。
出産して数日経った頃、あれ?私、この子のこと自分の子だと思えない、と何度か思いました。
育てていくうちに自覚も出てくるやろ、とあまり深く考えていなかったのですが、

1ヶ月経った今もやっぱり思えない。
ただ可愛さと愛着と、それから責任感が増しただけでした。

絶対に死なせられない、という思いと、
将来少しでも生きやすいように育てたいという思いと、
不細工な顔ほど可愛く思えて愛が湧き上がってくるこの感じは、きっと親のそれなんでしょうが、

でも「My baby」という感じがしない。

でもこれって本当は、人間という動物の本能的にとても自然な流れなのかも。

「我が子」というのは単なる「言葉」で、実際、この子は私の子ではなくて人類の子なんだなあ、と思ったりしました。だから私一人が育てるわけじゃない。私はこの人の担当で、一番重い責任を授かったけど、私以外の人もみんな、この子を育てる義務がありますよ。という・・・⇦傲慢?

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私が出産をして、改めて家族の関係が色々と変化したのですが、
母と私だったり、弟たちと私だったり、いとこと私、だったり、もちろん夫と私も。

でも家族って、単なる小回りのきく小単位だなあと、私には家族と同じぐらい大切な仲間が、周りにおりますので、余計そう思うのですが、なんというか、悪い意味ではなく、特別ではない、でも大切な単位の一つだな、と思いました。

それでもこの1ヶ月、まるで私との関係を修復するかのように、必死で私とじうちゃんの世話をしてくれた母には感謝してもしきれません。色々ありましたが、彼女の愛情の深さをしみじみ感じました。あの人は自分が世話をするのは「家族だから」とか「娘だから」と思っているでしょうが、それは言葉に負けているというもので、あの人は人類の責任として私たちのお世話をしてくれたんだなあと思います。本能的には一番それを知っているはずの人です。

あと夫もそれこそ必死で、育てるということにフォーカスしてくれています。
今の言葉で言うとイクメンですね。
率先して子供に関わろうとしてくれているので、私の心はしんと静まり返っております。
(眠くてイライラはするけど)

なんか、何言うてるかわからんくなってきましたか。
よくわからない話ですみません。

もちろん腹を痛めて産んだのですが、
それこそ私の腹は私の腹ではなく・・・

京都は雨です。
あと何分寝てくれてるかなー。
泣き出したら多分、昼まで乳を離してくれなさそうです。

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じうちゃんが深く寝ており、なおかつ私の気持ちがまっさらな時間、つまり早朝に、諸々秋からのための活動の作業をしています。時間が足りないぐらいの方が、頑張るんよね。人は。というか私は。

無事生まれました!

ここでの報告が遅くなりましたが、6月吉日、無事、元気な男児を出産いたしました。

妊婦期間も相当な試練でしたが、
出産もそれを上回る試練、
そして現在、授乳というまた質の違う試練に直面しています。

夜に寝て朝起きるという生活がしばらく来ないんだなあと思うとビックリしますが、話しかけると嬉しそうに笑う息子を見るとそんなことも吹っ飛びます。うちの子は4キロ越えで生まれたビッグベビーなので、笑ったり目で物をおったりがもう既に出来るので、その点は助かってるかも。リアクションがあると頑張れるというか。

ただ、短く浅い眠りのせいか、やたら毎日悪夢を見ます。
だいたい誰かが殺されたり、妖怪が出てきたり、ありえない設定の中でもがき苦しむことが多いです。夜中、おっぱいを吸いながらやっとご機嫌になった息子を見ていると、悪いことばかり考えてしまって憂鬱になったり、あー産後鬱ってこんな感じかも!と思ってる時点でまだ大丈夫だとは思うのですが。

自分が手を抜いたらこの子の将来とか、将来とまでは言わなくても今、死んでしまったりするかもしれないという恐怖でいっぱいで、サボリ魔の私が手を抜けないことが辛くて、しっかり肩に力が入ってて、あー母親がこんなんじゃあかんなーと思いながら、その真っ只中にいる感じです。

まだまだ母0歳、精進してまいります。

生まれぬ

予定日越えで、未だに妊婦をしています。
でも本来、予定日に生まれることは稀で、予定日を挟んだ前後2週間が最も出産率の高い期間らしい。つまり予定日越えの今週生まれても、別に普通ということ。

野口整体の本によれば、さらに待ったとて普通と書いてあった。その次の週になろうが、子供は生まれたい時に生まれてくると。無理に産ませないほうが良いと。

しかし「人間が決めたこと」に従って生きるのが普通の現代人山口は(まあそうでもないことが多いけど)、そんなお言葉すら聞こえぬほどにずいぶん「予定日」というものに振り回されています。じれったいのです。もう待ちくたびれました。母なんかは昨日「予定が立たない」と電話してきました。予定日に振り回される親子。

しかし!とりあえず目下の目標としては、私の胎内に異常がない限りは無理に出さない方向で自然な出産を目指す。しんどいけど、年齢的にきついけど、夫が、突き出た私のお腹を見るたびに「@@ちゃん(子供の名前)、もうお母さん限界やわ。出てあげて」というぐらい、お腹がやばいことになっているけれど、お金も何も残せなさそうな私がこの子にしてあげられる最大のことのうちの一つとしては、丈夫な体で生まれてもらうことやなと思います。

とはいえ、母子ともに危うくなれば病院に従うのですけれどもね。
しかもどう生まれてくるかも不明だし。

私の通う病院は、ユリイカ百貨店のたみおさんに紹介してもらった病院で、とにかく自然な出産をと考えてくれているので助かります。

そういうわけで、生まれてから考えよ、と思ってたことを少しずつこなす毎日でした。
そう、無線のプリンタを買いました。
ずーっと欲しかったので嬉しい!これで台本捗る(わけもないのですが)

2016年秋以降のこと

ずいぶんお久しぶりの更新です。

出産予定日まであと8日になりました。破水を恐れつつ、家にいると精神的にも肉体的にもダメになるので、色んなところに出かけて、ちょこちょこ秋以降の予定の準備をするようになりました。いかんせん初めての子供なので、生まれたらどんなことになるのか、さっぱり想像がつきません。

本当にどう焦っていいのか、まるでわからないのですが、何も考えていないと、もう子供のことばっかり考えて、早く産まれてほしい、早く産まれてほしい、でも陣痛怖い、陣痛ヒエー!!!→吐き気と頭痛に襲われるというループから逃れるためにご飯を食べて昼間から寝てしまいます←ダメすぎます

なので、子供に集中しすぎないためにも、秋以降のことをのんびり考えているという感じです。
連続して座っていられるのが2時間程度とシンデレラ並みに短いので、
以外と集中できたりしますし、

何にも追われず、見知らぬ多数のご老人と一緒にやわらかな日差しの中バスに揺られていると、にわかに幸せ感がこみ上げてきます。こんな時間はもう二度と来ないな、多分。

団体の形も少し変わったり、
それに伴ってウェブも変わったり、
相変わらず予定は満載です!頑張ろうー!

今日はもう限界なので、これにて失敬。

「会う」ということは「別の個体になる」ということ

いよいよ今週末に臨月に入るということで、入院の準備もしたし、子育てグッズももらったりネットで検索したりと準備が整いつつあるのですが、

うちの子、うまれる気配がない。
限りなく大きくなったお腹に足をぎゅーっと押し付けたまま、一向に下がってこない。
日中は蹴ったり頭突きしたりしゃっくりしたり大騒ぎで、歩いててもそれをやるから「いててて、いててて」と言いながら歩く。暗くなると静かになってくるけど、夫が戻るとまた騒ぐ。
そして夜になるとなぜか一緒に寝てくれる。

朝は私が喋ったら動き出す。

もちろんまだ生まれてはいけない時期なので、下がってこなくて普通なんだけど、
私も結構な高齢だし、「生まれそうなので安静!」とか言われる可能性を思っていたのに、(そしてそのまま生まれたら早く会えるじゃない!とまで思っていたのに)そんな気配がない。むしろ「ガンガン動いてね!」と先生に言われる始末。仕方ないので、とんでもなく重たくなった体を意外と弱い股関節で支えながらヨチヨチと歩いています。

すべてのことについて、好き嫌いがくっきり分かれ、恐ろしく本能的な自分を恐れつつ・・・しんどくても部屋の掃除や整理は欠かせないのが不思議だったけど、これって巣ごもり本能らしく、

人間というのは動物なんだなあとしみじみ思っております。

だいたいこんなに時間があるのもきっとお仕事を引退するまではないような気もするので、今のこのぼーっとした時間を楽しみつつ、秋からの活動のための準備をゆったりと進めたいと思っているのですが、

いかんせん本能的なので、やりたくない時はやれない。はー
もともとそういうタイプなのにもっとそれが加速してる。切ない。

しかし信頼できて、対等に接してくれる人たちが周りにいてくれることに感謝やなー・・・
そのおかげでとんでもなく動物的な自分も、受け入れられるというものだ。

カンファタボー

最高の季節がやってきた。
窓を開け放しても寒くも暑くもない日々。
風通しが良い。暖かい。

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お腹の中にはぎっしりと子が詰まっている。音楽を聴いて踊ったり、散歩しないと怒って蹴ったり、撫でてやると落ち着いたりする。毎晩話しかけるのが日課になっている。

「悪童日記」の続編「二人の証拠」が止まらない。めくってもめくっても次を次をと脳が求める。女性の小説家でここまで吸引力のある人に初めて出会った。もちろん、私の中で。

アゴタ・クリストフは、おそらく私とは全然違うタイプの作家なのだが、だからこそなのかな、惹かれる。子供を育てながら小説を書いていたこととか、知らない土地が、どれだけ優しくてもなじめないこと、などに手触りを感じ、平易な文章も手伝って、私をがっつりとあの見知らぬヨーロッパの街並みに誘い込んでくれる。

来年の3月にこの小説を基にした舞台を考えている。
その稽古がすでに始まっていて、メンバーとともにこのことについて、特に何にも追われず語れる平和な日々。

++++

最近、子を守るためなのか、本来の怒りやすい私が戻ってきた感じがある。
ここ数年は、怒る自分が大嫌いで、何でもかんでもニコニコしていた。
ニコニコしていれば誰も私に傷つけられることはない、結果誰も私の元から去らない、と思っていた。

形から入ると知らぬうちに中身も変わるようで、柔和になった、とよく言われた。実際そうなってよかった部分も大きい。

でもその抑圧による歪みは結構大きく、結局よくわからないところで何もしていない相手に不機嫌に接するというような形で相殺されていたように思う。いや、私としては理由があるつもりなんだけど、よく考えてみれば、相手にとっては理解不能な理不尽な振る舞いがあったような。

やはり怒るべき時は怒ろうと、まっすぐ怒ろうと思うようになって、というか、思うより先に怒ってしまうことがあって、嫌だなーと思いつつ、やっぱこれが健全だなと思っている。嫌なことは嫌だものな。そうしていくと、理不尽な振る舞いも減ってくるように感じている。

ありがたいことに出産までにテキストの案件が3つ。
週1回のシニア劇団の演出もあって、
細々と書類の作成が山積みで、

でも自由な時間の中にいて、すべきことがあるって、悪くないなあ。

+++

昨日は鳥公園の西尾さんがうちに来てくれた。
衣装の詩恵ちゃん、サファリメンバーのまっちゃんとすくも来て、夫と5人でご飯を食べた。
やっぱり西尾さんはとっても素敵な人だった。

あれだけ素敵なのに人を見下す感じがないし、自分の中身や外見に夢中な感じもない。つまりバカじゃない。

夜、夫が「しゃべり方が豊穣で、恐れ多くて目が見れなかった」と言い出し、大笑いした。西尾さんにびびったそうだ。

西尾さんと同い年の詩恵ちゃんはシニア劇団の衣装をボランティアで作ってくれた。3着も。彼女はこの10月、初めて自分で戯曲を書いて演出をしようと考えている。相変わらず自信なさげに微笑んでいたが、詩恵ちゃんも本当に素敵な人だ。あれだけ美人で気遣いが出来て、それでいて、いつも何かを恐れている。

頭が良すぎてきっと、現実が見えすぎるんだろうなあ。

その二人が、私よりも9歳も年下なのだ。

もはや嫉妬とかもないよね。

私は、きっとバカだから何も怖くないんだな、といつも思う。
やっぱり、賢くなりたかったよなあ。

今日は帰山ちゃんと、お鍋をする。

思想

先日、トリシャブラウンを見て、興奮したことを、まっちゃんにメールする。まっちゃんと稽古の後に毎日、車の中で話していたことの謎が一つ、解けるような気がしたからだ。でもどうだろう。わかった!と思う時って大体、迷宮を見つけただけやったりするし。。。

でも迷宮すら見つからないよりはいいのか。
とにかく私には自分の思想をはっきりとさせる必要がある。

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公演が終わったらとても暇になると思い込んでいたけど、
全然そんなことはなかった。
デラシネラの椿姫はいよいよ小屋入りだし、
恍惚一座のテキストも仕上げなくてはいけないし、
何より家には、可愛すぎる赤子(レンタル中)がご飯とおしものを世話を待っています。
とても穏やかで充実した日々です。

明けましておめでとうございます!

2016年ももう2週間を過ぎました。

今年の山口の第一弾は、林英世一人語りの演出です。
現在、英世さんとの稽古、サファリ・Pの欲望という名の電車の稽古、そして、デラシネラの椿姫のテキストを同時進行ですすめております。

そこにシニア劇団恍惚一座の稽古用台本「桃太郎」の執筆や、神戸学院大学の授業等が挟まれ、こども向けwsの講師等もあいまって、

中々に過酷でありますが、

やりきります!
今年もどうぞ、よろしくお願いします!

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後少しで2015年も終わりますねえ

さていよいよ、サファリ・Pの稽古が開始しました。

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トップページの写真も変えました。トップページのイメージ画像撮影は、松本成弘君です。
これからサファリのページを作って行く予定です。

おいおい説明しますが、サファリ・Pは完全に劇団です。
同じメンバー&スタッフで、継続した創作活動をする予定です。
ずっと劇団という形を怖がって避けて来たのですが、
そうでなくては成し遂げられない事に今猛烈に興味があります。

という訳で、公演は来年の3月。どうぞよろしくお願いします。

で、来年4月まで、サファリを含めると私には4つの作品創作があります。
もうなんか、ありがたい限り。

ひとつは1月、林英世さんの独り語りの演出を担当します。関西の大先輩、英世さんと共同作業が出来るのはありがたい事です。
もひとつは3月、東京にて、カンパニーデラシネラ。テキストを書かせて頂きます。
最後のひとつは4月、シニア劇団恍惚一座。こちらは短編を二つ、私はそのうちの一つのテキストと、二つの演出を担当します。

にしても毎日、長野からのと広島からのりんごが、美味しいです。
ゆっくり確実に仕上げて行こうと思いますー!!!