2017年「私の家族」東京公演」カテゴリーアーカイブ

私の家族 12月13日

2場に細かく動きをつける作業。
俳優が用意してきた心理や情報をあえて壊す。動きを制御したり、細かく動きをつけたり、色を消すために台詞を音として発語してもらったり。俳優に負荷をかけることで、役への解釈や感情を密閉する。
「感情に名前をつけてしまうことへのアンチテーゼ」と演出中の山口さんは言った。言葉で定義してしまうことで、演技は俳優の解釈の説明に堕したり、「こういう人がいます」という見本帳になってしまう。
「(動きのクセがリセットされた俳優のことを)パフュームみたい」「だけど、ロボットのような演劇がしたい訳ではない」
ニュアンスや情報を削ぎ落とした俳優の、生身の身体の豊かさ。人と人がただ対峙するだけで生まれる関係性の面白さ。俳優に飾り気のない状態で板の上に立ってもらったとき、むしろ観客にはより豊潤な見方が許される。それは、演劇という表現形態だからこそできることは何かという問いへのひとつの答えなのかもしれない。

文責:大貫はなこ

私の家族 12月12日

作り手の頭に浮かんだ構想を、言葉という輪郭のないままに共有することはできない。
1場の稽古を繰り返す山口さんは、自分の構想と言葉との妥協点を探っているように見えた。それが端的にあらわれたのが、オモテさんという登場人物の長台詞を改変しようと提案したときの言葉だ。
「今は具体的に説明しすぎているから、もっと抽象的にするか例え話にするか、まだ方法はわからないけれど考えます。」
『私の家族』は具体的な出来事の集積で物語が進む。戯曲の構成も緻密で、一見するとオーソドックスな会話劇に見える。しかし山口さんが目指しているのはそこではない。具体的な物語を借りながら、より大きな何かを表現しようと模索しているように思える。
言葉にした途端にこぼれ落ちてしまうその何かをできるだけ損なわずに、役者や観客と共有していく。その遠大な作業を手助けできる言葉を私も探っていきたい。

文責:大貫

「私の家族」10月プレ稽古を行いました!

東京都内の稽古場で、先日、「私の家族」プレ稽古を行いました。私が持参した台本を出演者の方に読んでいただき、修正する作業。そして、衣装の詩恵ちゃんが同行してくれたので、皆さんの採寸も行いました。

良い座組になりそうな予感です。

「私の家族」チラシ入稿を終えて。

「私の家族」プレ稽古が来週に迫ってきた。しかしなんでこんな思いをしなくてはならないんだろう、というぐらい辛い本を参考文献として読み、辛い辛いもう無理だと思いながら、それでも村上春樹さながらジェットコースターのように読んでしまった。

もしじうを産んでからこのことについて考えていたら、企画しなかったと思う。あいにくこの事件に興味を持ったのは、じうちゃん、影も形もなかったときのことで、まさか子を産んで、自分がこんなにビビリになるとは想像もしていなかった。でも企画したからにはやりたいし、興味が減ったわけではない、ただ怯える能力が高くなっただけのこと。

関連して、ミルグラム実験やスタンフォード監獄実験についての本も読んだ。こちらはしんどいながらも実験なので、割と面白く読めた。状況の力というのがいかに侮れないか。自分だっていつでも巻き込まれてしまうこと。知っておいて良かったように思う。自分が加害者なのか被害者なのかはさておき。

チラシが入稿できて、ここまではなんとか制作的にも順調です。本当は私以外の、ものすごーく制作に興味のある人と、相談しながら進めたい。でも今、トリコ・Aの制作に日本で一番興味があるのは、私なんだよな。良くも悪くも。

嫌いじゃないのでいいんだけど、稽古が始まったら絶対に仕事が抜けてくる。「このカンパニーの制作したいです!」という人が観てくれて気に入ってくれる芝居になりますように。強烈に祈る。

「私の家族」台本作成中

言葉にできないことを簡単に言葉でまとめてしまってそれで自分も相手も納得させようとすること。それが一つ、人間関係を息詰まらせる問題点だな、と、この台本作っていて思います。

春ぐらいから少しずつ言葉にし始めて、山納さんと月1回お会いさせていただき、いろんなことを話したり本の紹介をしてもらいながら、やっぱり本腰入れてやり始めることができたのは、「財産没収」が終わってからでした。やればやるほど奥が深く、時間がかかる作業だなと思います。台本を作ると言っても何をしているのか具体的に言い表すのが難しいのですが、私が今、捉えたいと思っている世界のことを、とにかく文字にして訂正して文字にして、という感じです。まだセリフは一文字もありませんが、ノートがどんどん、埋まっていく状態です。

なぜかこの段階になって、新たな3冊の本に出会ってしまいました。これを今から読みたいのですが、もう、時間がちっともありません。でもそれが大きく台本に関わってくるようにも思えてとりあえず購入しました。

とはいえ今、おかげさまでこの公演に割く時間があるので、チケット予約のことを考えたり、チラシのことを考えたり、以前は制作さんに丸投げしていたようなことを一つ一つやっていくと、なんというのでしょうか、今まで考えてなくて落としてた穴みたいなものを、今一緒にやってくださっているスタッフさんたちが知らぬ間に埋めてくださってたんだなあーとしみじみ思います。ありがたや。まずはこうやって自分が一つ一つ丁寧にやれてから、人に振るべきなんやなーとか。

10月中旬に東京で始めてメンバー揃って稽古です。その時までにできる限りのテキストを、と思っております。楽しみです。

音楽、大橋トリオさんという方にはまっております。羊毛とおはなさんも。そして、まさかの、明日から私が脚本、演出を担当するシニア劇団恍惚一座「ハウスホールド」小屋入り、一方神奈川芸術劇場ではデラシネラ「信号がない!」も。こちらはテキスト協力させていただいております。皆様是非。