2017年「悪童日記」」カテゴリーアーカイブ

悪童日記3月6日

6日の日記を、7日の今日、書いております。
今日は稽古がお休みで、シニア劇団が3月最後の稽古となりました。
私は稽古後、確定申告を青木さんのヘルプによって無事準備し終え、その他気になっていた事務作業も少し進んで、晴れ晴れとした気持ちでおります。

また明日から、本番に向けてのラストスパートです。
さて、6日。オープニングとラストのダンスをどう扱うか、という話し合いから始まりました。

ダンス、ということを割と、生きる、という風にとらえてまして、それはもう、ものすごく、ありふれた捉え方ではあるのですが、この、双子が生きる、ということを、どういう風にダンスで表すか。それは、オープニングとラストで、どう違うのか。そこが話し合いの焦点です。

この「悪童日記」という小説は、オープニングとラストで、双子の心情がまるで違う。
そのことは、アクションに、文体に、直結しています。

それをダンスでどう表現するのか。
まさに、この作品の、心臓部分なのです。

そしてサファリ・Pという集団が、ダンスをどう捉えているか、ということにも繋がる気がしています。

どこかで使えたらいいなと思って作ってもらっていた振り付けが二人にあったので、それを組み入れることにして、次に移ります。

ジープのシーンです。
ここは、先日セリフを差し替えたばかりなので、もう一度セリフを入れた状態で精度を上げていきます。
母をやるこうちゃんのセリフを、どんどん、どんどん強いものにして行ってもらいます。
あんなに恋い焦がれていたはずの母の元に、もう戻りたくない双子と、夫以外の男性との間に子供を作っても、それでも息子たちを手放したくない母の攻防戦です。

もし赤子がいなかったら、双子はついて行ったのでしょうか。

そして、ジープのシーンから、「ドイツ人」という支配者を描くシーンに移行するそのつなぎを、作り直しました。小説には「こんな戦争、誰も望んでなかったよ」と酒場でおじさんがつぶやくシーンがあるのですが、まさに兵士たちは、本当は嫌だと言いながら、手を奪われ、足を奪われ、命を奪われていきます。

そういう幾多もの兵士の犠牲の上に、支配者は立っています。

とても力強い行進で始まるシーンとしていたのですが、
ジープのシーンが想像以上に力強いシーンとなったので、高杉氏の提案で、真逆の空気のシーンにしてみました。

それがまたとても面白いのです。

そこから、将校のマゾヒシズムのシーンを経て、双子が神を冒涜する、というシーンを作り直します。
私は、双子が、神に成り代わって所業を行う姿を、「いたずら」のイメージで考えていましたが、神をやる日置さんを「将校」と見立てたすぐ後なので、齟齬が生じるのではないか、と高杉さんに指摘を受けます。

これです。

私はわかってるんだけど、お客さんには伝わらないこと。
ここの差をはっきりさせる必要があります。

確かに、「将校が、リセットされて神になる」というよりは「将校の鞭打たれる姿が、そのうち神のようにも見えてきて」が正解です。

であれば、将校と心底愛し合っていたように見える双子は、日置さんを台座からいたずらに突き落とすべきではない。

でもこのシーンではどうしても、日置さんに台座から降りてもらわねばならない。
そこで、まずは双子が将校によって抱きしめられ、その後、双子が抱えて日置さんを下に降ろすことにはなりましたが、
ここはもう少し、考える必要があると感じました。

この一連の通しの後で、京都新聞の長谷川さんが、稽古場取材に来てくださいました。
少し取材をしていただいて、稽古をご覧いただきます。
作品の中で演劇とダンスはどういう住み分けがされているんですか、と聞かれますが、全く住み分けていないので、その様子をご覧いただきました。

その後、オープニングで、「双子は絶対に離れられないのだ」と説明するシーンに、他のシーンでボツになった父母のセリフを挿入する稽古です。動きとセリフがいきなり同時に進行することによって、セリフか動き、どちらかが止まってしまいます。そのため、繰り返しの稽古が必要になりました。でもこのセリフをここにいれることで、飛躍的にシーンが見やすくなりました。

最後は、「冬」のシーンを再度、練り直します。
先日の通しで、まったく形にならなかったシーンです。
あれやこれやとアイディアを出すのですが、なかなか良いアイディアが出てきません。
暫定で私のアイディアを採用しましたが、ここもやはり、もう少しアイディアが必要な気がしています。

その後、冬から続くユダヤ人のシーンのキャストの立ち位置を確認し直して、稽古を終えました。

毎日、必ず行き詰まるんですが、その行き詰まりで予想だにしなかった良いシーンが仕上がったり、とあるシーンがよくなると、前はよかったシーンもさらに精度を上げる必要が出てきたりして、作品自体が、全体的に、徐々に、徐々に、よくなっていくのがわかります。

まだまだできることはたくさんあります。
落ち着いて、一つずつ、潰していこうと思います。

悪童日記3月5日

山口、40歳になりました。
10年前のこの日は、若手演出家コンクールの最終審査のために滞在していた東京から京都へ帰るバスの中で迎え、フィンランドへの留学が決まった日でもありました。

2017年の誕生日は、稽古をしていました。10年前と比べると、ずいぶん中身が詰まってきた感じがします。

さて今日は、台本をまた全体的に新しくしてきたので、変更の箇所を頭からさらっていきました。

そして「避難所」としていたシーンを「母との別れ」のシーンに差し替える作業に入ります。小説では、防空壕に入りたがらない双子が描かれています。みんなが助かるために作った場所のことを、双子は「初めて怖いと思った」というのです。とても双子の性質を表しているし、防空壕も平台で作れたので、ずっとそれできましたが、

その平台を、ジープに見立てた瞬間、もうそこは、敗戦でドイツ兵と逃げようとしている母のシーンにしか見えなくなってしまいました。

ジープの中から母は、早く来なさい!と叫びます。
あなたたちを愛しているから、置いていけない、と。

実際に書いてきたセリフの分量ではこのシーン、埋まらなかったので、改めて尺を伸ばすことに。
私がそれをパソコンで打ち直している間、キャストは、ラストの父の国境越えのシーンのセリフを割り振り、読みます。そして昨日ひかれたリノリウムの上で、平台を動かすことになったのですが・・・

滑ると思ったリノリウムが平台を「止めます」。

こういうことが小屋入り前にわかってよかった、と言いつつ、私は母との別れのシーンのテキストだけ打って、中抜け。
キャストと下野くんは、リノリウムが平台に引っかからないように、敷き直しをしてくれました。

私が戻ってからは、ラストシーンの動き、セリフの確認と、ジープのシーンを仕上げまして、
衣装の詩恵ちゃんが来てくれていたので2回目の通しをしました。

ランタイムは当初予定していた1時間ぴったり。
しかし新たに改善したいシーンが次々と現れます。

みんな、かなり疲労がたまっているので、
「神を冒涜するシーン」の動きを決めて、終わりにしました。

悪童日記3月4日

この日は見学に、桑折現くんがきてくれました。

ユダヤ人の子供達のセックスシーンから、どうやってラストの父の国境越えのシーンに転換するかという話し合いから始まりました。ラストシーンの平台の形はもう決まっていて、ユダヤ人のシーンのそれとはかけ離れています。

何を持って、この二つをつなぐか。

そこで、小説の一部を日置さんに読んでもらい、残りの4人でそのシーンをイメージさせるような動きを作ってもらうことにしました。これが意外とよくて、

特に、すでにできていた高杉さんの体制とこうちゃんの体制が、偶然にも、効果的となりました。

思ったよりも早く、つなぎが仕上がったので、その後はラストシーンを4人で精査していくことにしました。セリフを新しく作り直し、それを言いながら、平台を動かしていきます。

このシーンは、足音のみで構成されます。

どう見せるか。
うまくいけば、とても面白いシーンになることがはっきりしています。
小説でも圧倒的に印象に残るシーン。
舞台ならではだった、と言われたい。

その後、稽古場を劇場仕様に近づけるために、リノリウムをひく作業に入りました。
明日からは、リノの上で、稽古ができます!

悪童日記3月3日

この日は、朝の10時半に集合し、解散したのは夜の21時半でした。
間に30分ずつの休憩を取ったので、合計10時間の稽古です。
19時から21時の2時間は、明倫ワークショップで、公開稽古でしたが、
稽古は稽古、というかもはや、いつもの稽古よりもテンションのかかった稽古で、

この長時間が、あっという間に終わりました。

この日は、通しを経て気がついた「足りないセリフ」を5箇所分、プリントしてきて配り、
それを元にシーンを補強していく作業をしました。

一つ目は、墓に行く祖母の後をつける双子のシーン。
このシーン自体はとても迫力のある良いシーンなのですが、終わり方がうまくいってませんでした。

話しかける先、セリフを追加して、改善していきます。

二つ目は、司祭様のシーン。
司祭様が双子に脅されることが分かるセリフを追加します。

三つ目は、兎っ子をいじめる男の子たちのセリフ。これは高杉氏の提案で付け加えました。割と卑猥な言葉で兎っ子を追い詰めていきます。

四つ目は、女中のセリフの追記。一言ですが、その言葉には、その言葉以外の意味が含まれています。

いつつめは、「冬」のシーンのセリフ追記。

それが終わると、前日に3人で作った「ユダヤ人の子供たち」のシーンを、5人で作り直しました。

悪童日記3月2日

この日は午前中、青木さん、じうと3人で毎日新聞社へ。
長いお付き合いになる記者の畑さんに、取材していただきました。
畑さんは、関西の演劇界を暖かく包み込んでくださっている方。
この日も、取材の前後でいろいろと世間話をしながら、創作活動を続けていくためのたくさんのヒントをいただきました。

この間、出演者は私抜きで、私の送った「ユダヤ人の生き残りの子供達」のシーンを読み合せし、それからラストの父が国境を越えようとするシーンの動きを試してくれていました。

私が稽古に遅れて参加した頃には、高杉氏、日置氏の二人はすでに抜けており、3人プラス演出助手の下野くんでユダヤ人の生き残りのシーンを作ることになりました。

ユダヤの生き残りのシーンは、当初、全く挿入するつもりがなかったシーンなのですが、通しを経て、私の中で候補に浮上しました。彼らはおそらく、お金持ちのユダヤの人の子供で、密かに待ちで集まりながら、終戦を待ち焦がれています。収容所送りになった両親のこと、レジスタンスをしている両親のこと。絶対仕返しをするぞと言いながら別れ、惹かれあった男女でセックスします。

アゴタクリストフが、どこかに「恋や愛なんてない。あるのは性欲だ」というようなことを書いておられて、
まさに「悪童日記」は、性欲が裏テーマのようになってもいて。

私、この若いユダヤ人たちのセックスは、希望だ、と思ったのです。
彼らはこの時期、無残な殺され方をして、民族を消されそうになりました。
でも、彼らは滅亡しません。
それを支えているのは、性欲なんです。

そういう目線で、このシーンを綴りました。

悪童日記3月1日

通し明けの、稽古です。
見学に、長谷川寧さんが来てくださいました。

この日は通しをしてみて、気になったところを添削していく日となりました。

まずは、達也さんの紹介です。
この芝居では、5人の人物のことを、紹介していくというルールで芝居が紡がれていきます。
4人まで紹介を終えて、一人残った達矢さん。
実はすでに、紹介されていると捉えることもできるのですが、されていないとも言える、ということで、テキストを書いてきたのです。

モチーフを帰還兵に絞り、達矢さんを中心に据えて、紹介に入りました。
しかし、なんとなく、しっくりきません。
保留にして次へ。

ラストシーンです。

ラストシーンは、足音だけでシーンを紡いでみようということになっています。このシーンは作るのが楽しみで、やっとここまで来たなあ、と感慨もひとしおです。

でも、通しを経て、果たしてここまで、そのシーンが作れるほどに物語が積み上がってきていただろうか、という疑問が高杉さんから上がり、私の違和感もそこにあると気がついたので、触らずに次へ。

おばあちゃんの家の説明のシーンです。
双子のダンスが完璧なユニゾンでないことについて、ありかなしかを議論します。
というのも、ラストで双子がまた踊ってはどうかという提案が出たからです。
その時に二人のダンスがずれていくのはどうだろうか。

国境を越えるものと越えないもの。
そういう風に分けてみては。

しかし、厳密なユニゾンをしたからといって、それを双子であると言ってしまうのも、乱暴といえば乱暴な解釈です。
ダンス自体はそのまま行こうということになりました。

また、そのシーンでは台詞を一言追加したり、動きの描写がうまくいってないところに関して改善を加えました。

そして冒頭の、まっちゃんの紹介シーンに戻ります。

今回の芝居のキモ、サファリの芝居の本質的な部分に触る稽古です。
セリフに変更を加え、動きに変更を加え、手を替え品を替えて試していきます。

まっちゃんから、「インターステラーみたいにしてはどうか」という提案。
目の前にいる二人が、実は次元の違うところにいる、というような。

インターステラーは私も大好きなので、嬉々としてその案に乗ってみましたが、面白くないエンタメみたいになってしまいました。ここで高杉氏がいつもの力を発揮。細かい修正を少しずつ加えていくことで、そのやすいエンタメ感がどんどん消えていきいます。

私って、本当に、0か100かで動いてしまうタイプ。
でもすでに作ったものから、1足したり、3引いたりして、そういうマイナーチェンジで思うような結果を得られるのなら、その方が実はずっと建設的なんです。それを学んでいます。

稽古の後は、高杉氏と共にラストシーンを詰めるミーティングを行いました。
「どうする!?」で始まったミーティングも、素晴らしいアイディア出しで終了しました。
立ち上げることに、ワクワクします。

悪童日記2月28日

バスの中で、周りの人に愛想を振りまくという時期に入りました。
じう、8ヶ月。

左隣の、3歳のお子さんがいるという女性と世間話をしていたら、何やら笑い声が。
右を向くと、バス中の乗客の視線が、じうに集まっています。
じうは、右隣に座る18歳の受験生に満面の笑みで手を差し出しながら、時折他のギャラリーにも笑顔を振りまいてました。

18歳の受験生は、最初戸惑っていましたが、ついにイアフォンを外し、じうとノンバーバルトークを始めます。
「なんででしょう」「僕、顔が怖いんで」「子供に接しないといけないときは、僕はいつも裏に引っ込むんです」「なんででしょう」とおっしゃってました。

多分、じうは、我が家でお父ちゃんと仲良しなこと。男性だらけの稽古場で可愛がってもらっていること。などから、割と男性好きな赤子です。この日も、男の子、というだけでシンパシーを感じ、交信しに行ったんだと思われます。

私も、じうが笑いかけてくれるたびに、こんな私に笑ってくれるの?と最初戸惑ったことを思い出しました。赤子は皆、癒しですね。

さて、28日は、スタッフさんが集まって、初めての通しをしました。
とはいえ、7割ぐらいしか仕上がっておらずの状態です。

通してみると、いろんな不具合が見つかりました。
そして、課題もくっきりと。

今できている7割の部分は、情報の添削が必要であること。
今できている7割の部分の精度を上げること。
残りの2割は、後に足すのではなく、今できているシーンの補強で増えていくだろうこと。
ラストシーンでは、舞台化した理由がはっきりわかるしくみづくりを行うこと。

スタッフ同士の情報の共有と、
通しを終えたキャストの感想を聞いて、
稽古を終えました。
明日から三月。本番月がやってきました。

悪童日記2月27日

いよいよ二月も終わりにさしかかり、
じうもめでたく、一晩ぶっ通しで眠れるようになり、ほんの少し、楽になりました。
とはいえ、
彼が起きている時間はほぼ、彼か稽古かで染まりきった私の一日。

夫が帰宅し、夕食を作り終わった時から、やっと私の時間が始まるというわけで、
そこから作業するわけですが、

今、猛烈に眠いです。

さて今日は、大石英史くんが稽古場に見学に来てくれました。

この芝居が、戦時下であるということは、小説にもはっきりと描かれているのですが、面白いことに、支配者についての描写はとても少ないのです。私たちは小説の言葉で世界を紡ごうとしているので、支配者についてのシーンを作りたいのですが、なかなか数が集まりません。

将校に代表されるナチス・ドイツの兵士たちが、行進を行いながら、なんとか集めた「戦時下や支配者を描写した言葉」を連ねて、それを表現しようとしたのですが、いまいちうまくいかず。用意したセリフを全て捨てて、新たに、兵士の本音のようなもの、例えば家に帰りたい、というようなことを盛り込むことで、思いがけず、「兵士もまた被害者である」というようなことがわかるシーンとなりました。

いえいえ、もちろんもちろん、加害者でもあるのですが。

そして、
刑事のシーンです。

双子は刑事に、女中殺害の疑惑を突きつけられ、取り調べの中で、半殺しの目にあいます。

ここではがっつりと、高杉さんとまっちゃんにセリフを喋ってもらうシーンにしています。
この芝居はどちらかというと、パフォーマンス色の強い芝居なので、ここが最も芝居らしいシーンとなることでしょう。

この後、クライマックスにしたいと考えているシーンを作って、稽古終了時間が来てしまいました。
明日は通す予定だったのですが、最後まで行けそうにありません。
今でおそらく8割。
さて、ここから2weeks勝負です。
なぜ英語か。夜中だからか。

悪童日記2月27日

創作というのは、こうやってするんだな。
ということを痛感する日々です。
今更何を言うとんや、という話ですが。

長いこと良い案が見つからずに保留にしていたシーンが、昨日とてもとても面白くなったことが、今朝起きた時も嬉しかった。

そして今日もまたその奇跡が起きました。

女中から靴屋に行く転換のシーンです。
女中のシーンは昨日うまくまとまったものの、その後どうやって靴屋さんのシーンに持っていくかが再び課題としてのしかかってきた今日。

えー、改めまして、私たちが作っている「悪童日記」は、そのままストーリーを会話で紡げば、一見特に悩まずに作れるはずの「出来上がった物語」です。実際の登場人物は老若男女合わせて20人ぐらいにもなるでしょうか。舞台となる街は、ヨーロッパの小さな町。

でも、私たちはこれを、「たった5人の俳優」で「全員男性」で「5代の平台のみを使って」表現しようとしています。

しかも、文体を舞台化すると宣言している。

難しいものは作りたくないのです。
素っ頓狂な、ハチャメチャなものも違う。

シンプルで、なおかつ考え抜かれた作品にしたい。

なかなかの、パズルです。

それで、女中から靴屋に行くシーンです。
これまでは、だいたい、主軸になる人物が入れ替わる時は、そのルールのようなものを踏襲してシーン作りを行ってきました。ところがここにはそれがない。おもむろに靴屋のシーンが始まるのです。

やはりここは前例を見習い紹介から始めようか。
などと悩んだ結果、

以前から出ていた「すでにはいている靴を使う」「冬というシーン」二つの一旦お蔵入りしたネタを復活させることで、非常に興味深く、シンプルで面白い転換になりました。

すでにはいている靴を使う案については、高杉氏がこれまた提案してくれました。

もっと面白いパターンがあるのではないか。
そう思えるシーンをことごとく、潰していきます。

明日はようやく、5人揃って新しいシーンを創作します。

悪童日記2月25日

今日は、稽古場に、緑川くんが来てくれました。
友達のように言うてますが、今日初めてお会いしました。
過去にウィングカップという演劇のコンクールで最優秀賞を受賞された、将来の演劇シーンを担うであろう若者です。

この日は、前日に続き、達矢氏がお休みでしたので、
シーンを前に進めることはせず、冒頭から台詞の発語の確認と、微調整、それからうやむやになっていた「兎っ子➡︎女中」のシーンを固める作業をしました。

こうちゃん(芦谷くん)の、兎っ子の台詞は、ピカイチです。
これだけを聞きに来ても面白いのではないかというぐらい、板についた台詞です。しかし今日は、それをさらに補強する稽古となりました。

兎っ子と女中をこうちゃんが担うため、二つの役の差をつけるために、兎っ子に色付けをしたのです。
しかし、今回は「演技」というものを突き放すことが一つのコンセプトです。
形を真似するだけ。
あくまでこれを突き通すために、どういった動きが有効か。

しかしここを考えていくことで、決め手に欠けていた女中のシーンが一旦、まとまりました。

他にも、父と母の会話のシーンがずっと、シーンとしての強度がなくて悩んでいたのですが、全体の流れを作ってしまってから改めてそこにフォーカスすることで、少し強いシーンに作り変えることができました。

シーン作りがうまくいかなくても、飛ばさずに稽古を停滞させて踏ん張って考えること。
どうしても解決しない場合、暫定として仮決めしておき、全体を作ってから改めて振り返ること。

この二つの塩梅が、演劇の稽古にはとても重要だと感じます。

最後に「本当の自分はいるのか」という議論をして、稽古を終えました。