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財産没収稽古2017.06.17

4ページの、ダンスのシーンが保留になっていたので、そこをまず暫定でも作ってから次に進むことになった。

まっちゃんとトルソー
高杉さんと恵美ちゃん

どうやって入れ替わるかという問題にぶつかる。部屋の真ん中には、調査官によって仕切られた赤い線がある。この線を越えること、超え方などの問題。ここでは、この線を一旦外して踊るということに決まる。そろそろ、この線が何なのか、何色で、どういう風に貼られているのか、を考える必要性。

そして、ダンスのシーンをとりあえずシンプルに作り上げ、先に進むことにした。

この日には「まっちゃんが高杉さんを襲い、抵抗するので瓶で殴って犯す」としていたシーンを、やはり初演と同じに戻そうという話になった。まず、「犯される」というシーンを作る困難さと、そこまでして犯した人と犯された人がそのあとどういうモチベーションでそこにいるのかという難しさが相まって、だ。

財産没収稽古2017.06.14

まず最初に、ここまで作ったシーンの通し。
その通しで、「恵美ちゃんの座るタイミング」を再考し、高杉さんがトルソーを立てると恵美ちゃんも座る、というふうに決める。

次に、「この財産を没収す」というセリフを、3人ではなく、高杉さんと恵美ちゃんでいうことにする。この時の二人は、テネシーとその姉、という関係だ。二人でこのセリフを発することで、いよいよこのヘンテコな世界がスタートする、というイメージ。

これまでテネシーに対して、妄想を嘲笑っていた恋人のまっちゃんも、この辺りから、テネシーの劇世界を共有しようと歩み寄ってくる。しかし、そういうことにするためには、一旦自分の欲望を満たすためにテネシーを殴って襲いかかった、という過去をやや持て余す現実。

ここで高杉さんから、演技する上で、誰の声を聞いて、誰の声を聞かないか、ということの整理を重要さが告げられる。確かに。私は勝手に、解釈しているが、演じる側がそれを明確に持っていると、見た目や舞台上の空気も変わってくる、ということ。

それから、初演では「テネシーのインタビュー」としていたシーンを、改めて作り直した。

ここまで、あくまでテネシーの妄想内に現れていた姉としての恵美ちゃんが、ノンコントロールになってこの場から逃げ出してしまったりする面白さ。あるいはまっちゃんが恵美ちゃんにのしかかり、恵美ちゃんが逃げる、という初演の構図を、逆にしてみるという可能性。色々と脱線したりしながら話し合った。

この日は4ページを主に作った。

演出助手と出会いたい

いよいよ、暖かくなってまいりましたね。
街は新緑に染まり、暖かな風と美しい夕焼けに感動し、いつまでもこの季節でいてくれとついひとりごちてしまいます。毎年。

さて、悪童日記が終わり、サファリ・P及びトリコ・Aは次の公演に向けて準備を進めております。

そこで、山口は、

サファリ・P第三回公演「財産没収」演出助手@京都 2017年5月〜8月
トリコ・Aプロデュース演劇公演2017「私の家族」演出助手@東京 2017年12月〜2018年1月

を募集したい気持ちでおります。
したい気持ちというのは、まだ募集要項などを作成するに至ってないからです。

近々、募集するはず!
ご興味のある方にどうぞ、お知らせください。

悪童日記3月14日

さて、今日で稽古が終わりです。
最後に通しをすると決めて、昨日の通しで出てきた問題点を頭から一気に修正していきます。

この日は、里井さんという高校生の女の子とそのお友達が見学に来られました。

また、詩恵ちゃんのコーディネートした衣装も届きます。

いきなり冒頭のシーンから、再びこの作品の本質に迫る問題点を解決するために話し合います。

詳しく言えば、まっちゃんはいつから双子になるのか、ということ。

この芝居は、外から声をかけることによって、出演者がその役を、引き受けていきます。
方法は時間を経て、どんどん変わっていくのですが、

冒頭では、まっちゃんが、高杉さんによって、役になっていきます。
その手つき次第で、お客さんがこの芝居をどう見るかが決まるということ。

具体的な動きで言えば、前をどうやって向くかというただこの一点なのですが。
この時は高杉さんと話し合った結果、意志を持ってその役になる、という解釈でそのシーンを決めたのですが、

今、このブログを書いていると、
方法は同じでも、解釈は、違うのではないか、と思い始めました。
これは、本番までになんとしてでも、決めたいところです。

そこから予定を30分押すところまで修正をし続け、通し稽古を行いました。

こう見せたいけど、見せられていない、というところを、当初の予定通り見せるために、あるいは、本来見せたかった絵を捨てたりしながら、修正しました。この日で稽古場を撤収しなくてはならないという気持ちが、私を高揚させていきました。

通しを終え、稽古場のリノを巻いたり幕を下ろしたりして撤収しながら、
この場所を借りることができたこと、ありがたく思いました。
京都芸術センターに感謝です。

いよいよ明日から、小屋入りです。

悪童日記2月23日

この日もじうはお熱。
夫が仕事を休んでくれて、私は朝から稽古に参加することができました。
じうがいないので、自転車で芸術センターへ。

途中、郵便局で、劇場向けのご招待状を発送し、稽古場につきました。
午前中は、「ユダヤ人」と題したシーンを作りました。ここは、日置さんに担ってもらうシーンです。

悪童日記の中に出てくる代表的なユダヤ人は、靴屋さん、ひかれていく人の群れ、従姉妹です。

でも、すべてのユダヤ人登場人物を小説並みに細かく説明する時間がありません。
ダイジェストにせずに、その本質を伝えるためにはどうしたらいいか。

ここでは靴屋との絆をしっかりと描き、そのあと、虐待されるユダヤ人を描くという提案を、高杉さんがしてくれます。
台詞を追加し、イメージを作りこんでいきます。

そのあと転換に、空襲のシーンを追加して、セリフの配置をいろいろ変えてみることで、さらにユダヤ人のシーンを強く作り上げることができました。

悪童日記2月15日

赤子親衛隊のおばさまに連日会います。
この日はバス停で、近づいてきてじうの顔を覗き込み、手を撫で頭を撫で、帽子をかぶせ直して靴下を履かせ直してくれるというおばさまに出会いました。全部「あー、寒い寒い、あー寒い寒い」と言いながらやってくれました。

私、受け入れすぎでしょうか。

さて、この日は前日14日に作った「おばあちゃんの後を双子がつける」シーンを、まっちゃんに落として精度を上げる作業。そして「兵士」のシーンを作りました。

「悪童日記」は第二次世界大戦中のお話し。当然、兵士がたくさん、登場します。
兵士には種類があって、この国を支配している兵士、脱走兵、死んだ兵士、戦争に勝った兵士、様々です。
全部一様に兵士なんだけど、立場が微妙に違います。

今日作ったのは、全員が同じように動く、「行進」のシーンです。

ユーチューブでいろんな行進を見ましたが、一体この行進にどれだけ時間をかけたのだ、というぐらいぴしっと揃っていて、そこに時間をかけることが、兵隊という人の塊を機能させるのにどれだけ大事なこととされているのかと言うことを、痛感しました。

動きが他者と完璧に揃うこと。
とても気持ちが良いです。
高揚します。

これが高揚で済めば良いのですが、
人を傷つける方向に向かったとき、恐ろしい力を発揮してしまいます。

そのようなことを考えながら作りました。
実際にはみなさんの技の光るシーンとなりました。

おばあちゃんの後をつけるシーン作りは、緩急をつけることで俄然面白くなりました。
まあ、いいんじゃない?をやめて、これなら絶対に面白い、が見つかるまで、何度もなんども繰り返します。

私は脳が疲れるだけなのですが、
みなさんの身体は稽古終わり、どっぷり疲れているようです。
いよいよ、劇場入りまで一ヶ月になりました。

悪童日記1月27日

まだ台本が上がらないので、とりあえず用意した小道具の可能性を探る日になりました。
フラフープとボール。

じうが、このボールとフラフープに驚くほど反応しました。

全国の子育て中の皆様、これは使えます。結構遊んでくれます。
3つ100円のボールと、1000円弱のフラフープを用意し、フラフープの中にボールを入れて赤子の前に置くだけです。あとは赤子がいろんな遊び方を発見し、興奮し続けてくれます←ちょっと怖い
オススメです!

新しく試してみたのは、
ボールを落とし、それを拾い集めるというシーン。
フラフープを使い、「隠れながら逃げる」シーン。

フラフープの見立ては、なかなか面白いです。

ただ、普段はフラフープとして使うか、あるいは、円として、物語の中で意味を持たせなくてはなりません。どちらかというとそちらが本当に可能なのか、わからない状態です。

ボールは、その質感が安物のせいで、転がりにくく、逆に扱いやすいという評価を出演者陣に受けました。ただ、お手玉をするには軽すぎるというデメリットも。小道具一つとっても、可能性に満ち満ちておりますね。

果たしてこのボールで良いのか。それとも新しいものを買うのか。
まだ決めていません。

悪童日記稽古12月23日

全てはつながっている、と思う今夜。
私の体のことも、息子のことも、夫と家族の関係も、悪童日記の稽古から、私の創作の事、トリコAという団体、何もかも。

稽古の仕方、というのがなんとなく、見えてきて、楽しくなっている。
が、しかし、なんでもひとっ飛びで変化できると思いがちな私、

待て待て、私の体はまだまだあらゆるところが凝り固まっているぞ、と考えると、まだまだ、まだまだなのだ。

悪童日記は、小説で十分に面白い作品。
話も面白いし、何より言葉が面白い。
書き言葉が面白い。
(原作で読めるようになってみたいものだが、そんなことにチャレンジしてたら数年経ってしまうので、とりあえず日本語で読ませていただくのだが、それでも十分面白い。翻訳の堀さんが素晴らしいのだろう)

逆に言うと、これを映像化、舞台化してしまうと、その言葉の面白さが消えてしまうことになる。
また、安易には扱えない、ダークな描写もたくさんある。

この二つをどう、残していくか。
それが課題になると思う。

ストーリーを伝えるだけなら、映画がすでにやっている。
どうしても伝えたい、言葉の仕掛けの面白さ。
どうしても残したい、倒錯したエロチシズム。

悪童日記の重要ポイントは、すべてが「動詞」で描かれているということだ。
それなのに、感情を表す言葉がほとんどないにもかかわらず、
感情を揺さぶられる。

言葉がまるで、映像なのだ。

少年が主人公の、戦争の物語なのに、描かれる性癖が戦争よりもえげつない。
これをどうやって、舞台に乗せるか。