トリコ・A kyoto,Japan

2014.08.03.

花火の台本です!

みんなが作った台本を文字にしました!遅くなってごめんね。

覚えられるかな?金曜日までによろしくね!

「花火」

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  登場人物

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  かずさ 15歳 将来女優になりたい

  はるか 12歳 のんびりやで物忘れが激しい チャレンジャー

  ゆい  13歳 学年トップの成績

  シンタロー 10歳 かずさの弟 ひきこもり 友達がいない

  はるかの母  40歳 すぐきれる 焼きそば屋の店主

  ゆいのおばあちゃん 80歳 

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山と海に囲まれた八尾町。

海辺に灯台があって、

今日は夏祭りが催されている。

町の人はみんな、夏祭りのメインイベント、花火を楽しみにしている。

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ただひとり、おばあちゃんをのぞいては。

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おばあちゃんは音楽をつける。

おばあちゃんは独り、椅子に座って的当て屋の番をしている。

シンタローはひたすら玉を的に当てている。

投げるたびに、おばあちゃんは「百円」とつぶやく。

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はるかの母「(おばあちゃんをみて)あれ?ゆいちゃんのおばあちゃん?」

おばあちゃん「・・・」

はるかの母「なんでここにいるんですか?」

おばあちゃん「百円・・・」

はるかの母「(大声で)おばあちゃん!」

おばあちゃん「(はるかの母をみて、またシンタローに向き直って)百円・・・」

はるかの母「あかんわ・・・ねえ、君(シンタローに)うちの娘、みんかったかなあ?白いワンピースきてて、背これぐらいで、髪の毛、これぐらいの・・・」

シンタロー「知ってるで」

はるかの母「ほんま!?どこでみた?」

シンタロー「(景品の漫画を持ってきてみせる)」

はるかの母「これじゃない」

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シンタローは球投げに戻る。

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はるかの母「どうしよう・・・はるか、どこいったんやろ・・・」

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はるかの母、いなくなる。

はるかがやってくる。

しばらくおばあちゃんとシンタローをみているが、おばあちゃんの横に座る。

シンタロー、遠くにお姉ちゃんをみつけて、逃げるように居なくなる。

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おばあちゃん、音楽を消す。

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花火があがる。はるかは嬉しそうに花火をみる。おばあちゃんは花火がみえてないし、聞こえていない。

かずさがやってくる。

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かずさ「はるか」

はるか「ああ」

かずさ「お母さん、はるかのこと探してたで」

はるか「知ってる」

かずさ「行ってあげんでいいの?」

はるか「うん」

かずさ「めっちゃ心配してたで」

はるか「ひとり?」

かずさ「はるかのお母さん?」

はるか「ううん、かずさちゃん」

かずさ「私。私は、弟と来たけど・・・」

はるか「かずさちゃんって弟いたん!?」

かずさ「うん、でも、はるかといっしょ。どっか行ってしまった」

はるか「さっき・・・」

かずさ「ん?」

はるか「ううん、なんもない」

かずさ「どこいったんやろう、ほんまにもう・・・」

はるか「かずさちゃんって、中学卒業したら東京行くって言ってなかった?」

かずさ「そのつもりやったけど・・・ちょっと、色々あって」

はるか「ふーん」

かずさ「なあ、私、そのケータイ欲しい。言ってくれへん?」

はるか「分かった。おばあちゃん、かずさちゃんが、おばあちゃん美人ですねやって」

おばあちゃん「ああ、ありがとう」

かずさ「ちがうちがう、いや、ちがわないけど、美人ですけど、ケータイ。

ケータイがほしいの」

はるか「あ、そっか。おばあちゃん、かずさちゃんが、ヘンタイが欲しいって」

おばあちゃん「ヘンタイが欲しいの?」

かずさ「違う!もう!ふざけんといて」

はるか「おばあちゃん、かずさちゃんが、ふざけんなって」

おばあちゃん「はっはっは」

かずさ「最悪もう、なんなん?」

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かずさ、いなくなる。

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はるか「ははは」

おばあちゃん「ははは」

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花火があがる。

はるかは嬉しそうに観るが、おばあちゃんはみえないし聞こえない。

はるかは、おばあちゃんがみえないし聞こえない事に気がつく。

しばらくおばあちゃんを見つめる。

シンタローが戻ってくる。また玉を投げ始める。

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はるか「もしかして、かずさちゃんの弟?」

シンタロー「・・・」

はるか「あんまりやって、お金払わへんかったら、おばあちゃん困るよ、ねえ」

おばあちゃん「別に困らへん」

はるか「え?」

おばあちゃん「私、たまたまここに椅子があったから座ってるねん」

はるか「え?じゃあこのお店、誰のお店?」

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ゆいがやってくる。

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ゆい「おばあちゃん!どこ行ったんかと思った!良かった、もう、心配したんやから!・・・(店の様子をみて)何してんのこんなとこで」

おばあちゃん「・・・」

ゆい「帰ろう、おばあちゃん。私、まだ宿題残ってんねん、早く帰ってやらなあかんから」

おばあちゃん「・・・」

ゆい「私な、勉強せんかったらお母さんに怒られるねん。おばあちゃんは遊べって言うけど、怒られんのは私やねん。今から勉強せんかったら進学校行けへんねん、夏休みに差がつくねん、分かって!」

おばあちゃん「・・・」

ゆい「おばあちゃん!帰るよ!」

シンタロー「イヤ!」

ゆい「え!?」

シンタロー「帰りたく無い!」

ゆい「いや、君には言ってない」

シンタロー「帰りたかったら勝手に帰れ!」

ゆい「なんなん?邪魔せんといて」

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かずさが戻って来る。

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かずさ「シンタロー!こんなとこにいたん!?もう、心配したんやから!勝手にどっか行くのやめてよもう!」

はるか「怒らんといて」

かずさ「え?」

はるか「そんな風に、怒らんといて」

かずさ「はるかに怒ってるわけじゃないねんけど・・・」

はるか「せっかく会えたんやから、喜んでよ」

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はるかの母が帰って来る。

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母「はるか!やっと見つけた。店のそばからはなれるな!って言ったやろ!あんたがおらへんから私ずっとひとりで店番せなあかんかったやんか!あほ!」

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おばあちゃん、立ち上がって母をにらむ。

みんなびっくりする。

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おばあちゃん「子どもは遊ぶもんや」

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シンタローが走って灯台を登り始める。

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かずさ「シンタロー!」

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かずさ、追いかける前にはるかが追いかけて行ってしまう。

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はるかの母「はるか!」

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はるかの母とかずさも慌てて後を追う。

おばあちゃん、立ち上がって、歩こうとする。ゆいは慌てて腕を組む。

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ゆい「どこいくん。こっちは家ちゃうで」

おばあちゃん「あそこ登ってみよう」

ゆい「灯台?」

おばあちゃん「きれいやろうなあ、あそこから観たら」

ゆい「おばあちゃん、花火みたいの?」

おばあちゃん「みえへんよ私は」

ゆい「え、じゃあ」

おばあちゃん「ゆいに見せたいねん」

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ゆいとおばあちゃんはみんなの後を追って灯台へ。

6人、灯台につく。

花火が上がる。

みんな笑顔になる。

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母「はるか、ごめんな、怒ってばっかりで」

はるか「・・・」

母「仕事しんどいから、つい、イライラしてしまう」

はるか「ううん」

母「決めた。お母さんこれから、怒るの我慢する」

はるか「ほんま?」

母「とりあえず一ヶ月」

はるか「一ヶ月?」

母「三ヶ月」

はるか「短いな」

母「お母さんウソはつきたくないねん」

はるか「そういうお母さんが私、好きやで」

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かずさ「シンタロー。私、シンタローの毎日が楽しくなるまで、東京行くのやめる」

シンタロー「なんで?」

かずさ「シンタローの事、大事やから」

シンタロー「だいじ?」

かずさ「シンタローがお姉ちゃん歌上手いねって、演技上手やねって言ってくれたから、私、夢ができたんやで。今度は私が、シンタローの夢を作る番やと思う」

シンタロー「僕、夢できた!」

かずさ「何?」

シンタロー「秘密」

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ゆい「綺麗」

おばあちゃん「綺麗やなあ」

ゆい「おばあちゃん、みえんの?」

おばあちゃん「みえへんで私は」

ゆい「じゃあなんで綺麗って言うん?」

おばあちゃん「ゆいの声聞いてたらわかるわ。私とゆいは、血がつながってんねんから」

おばあちゃん、音楽をつける。

店番のいなくなった的当て屋がガラーンとしている。

おわり

2014.08.01.

八尾こどもワークショップ

先週から八尾プリズムホールで、子どもワークショップをさせて頂いております。元気いっぱいの子ども達と、走り回って筋肉痛です。やっぱり子どもは天才やなーとつくづくしみじみ。今週日曜までに、みんなで考えた花火の話を書きますから、あかねチームのみんな、この頁をチェックしておいてね!

2014.06.13.

城崎に行ってきました

今月末に本番のある「舟歌は遠く離れて」。私は演出を担当している。

この稽古を公開する為に、城崎アートセンターに行ってきた。劇作家大会というものがあって、その中のひとつの企画だ。色々自分の課題が見えた3日間だった。演出的にもそうなんだけど、やっぱショックだったのは、俳優の気持ちがわからなかった事かなあ。まあ、元々鈍いんだけど

不完全なものを見せるっていうのが、とても、辛いという事に気づけなかった。

昔から割とそれで私、怒られる気がする。

私は多分、不完全な私を見せる事に恐怖が無いというか諦めている。無駄に緊張して稽古するのはイヤだけど、過程で下手な演出さらすのは、それはもう、俳優の前で毎日やっているので、慣れているのかも。

そしてそれは私が鈍いからというのもあると思う。

私の鈍さって、私にはわからなくて、指摘してもらって初めて気づくんやけど、それをつまり「鈍い」というのだろう。繊細な人はさぞかしストレスだろう、申し訳ないなあと思う。

もっと自覚しよう。人の恐怖というものを察したい。

しかしそれにしても城崎温泉を楽しむ時間が無かったのは辛かった。次行く時は思いっきりなんもせんとこうと強く決意した。ジェラート食べて風呂入るだけにしよう。

午前中に、若手劇作家によるシンポジウムというのにも参加さしてもらったけど、ものすごく恥ずかしい居方になってしまって、今もなお猛烈に反省&後悔している。私はめそめそと泣く女子が苦手なのに、隣に居た劇団チョコレートケーキという名前はびっくりするけどかなり面白いという噂の劇団の古川さんという作家さんが、とっても琴線に触れる言葉をおっしゃって、それに涙腺が崩壊してしまった。

僕は劇団の為に書いているんであって、自分発信ではありませんということ。

私はそうなりたいと思っているから、とてもとても響いた。私は私が自分の為に劇作をしている限り面白い物は創れないと確信してる。そうじゃない人もいるかもしれないけど私はそうだ。そしてそこに随分前からきっといらっしゃるんだろう古川さんがかっこよかった。

だからといって涙腺が崩壊する理由はさっぱり分からなかった。あー恥ずかしい。バカみたい。

でも古川さんを始め、お会いしたいと思っていた劇作家さんに会えたのはラッキーだった。鹿目由紀さんとか、長田育恵さんとか。すごいなあ。凄い人はいっぱいおる。

あんなきついトークした私に、話しかけて下さった方々もありがとうございました。救われました。

私は自分を大事にしてくれる人を少しずつ増やして行こう。私も人をもっと大事にできるように鈍さのドアを少しずつ開けて行きたい。いつか、劇団を持てたらいいな。

2014.05.21.

「人ごみ」という言葉

人ごみって、今は単純に「人がいっぱいいる様子」を現す言葉で、そこに皮肉なんてあんま無いんだけど(無いよね?)、その昔、この言葉を初めて使った人は多分、人がいっぱいいる事に対して、多少の嫌悪感というか、ネガティブな意味を込めて「ゴミ」と「人」をくっつけたんだろう、そう思うと言葉っておもしろい。冷静にかんがえたら「人」と「ゴミ」をくっつけるなんてイヤミ以外の何者でもないのに。だって、

「日本人ゴミ」とか。

「女ゴミ」とか。

「アーティストゴミ」とか。

言われたらショックやもん。

言葉って面白い。

2014.04.13.

荒れた部屋

今朝、ふっと自分の芝居にいつも出て来る「荒れた部屋」の正体が分かった。

私の芝居にいつも出て来る「荒れた部屋」というのは、散らかっていて足の踏み場が無く、変な匂いのする気持ちの悪い部屋だ。何かが死んでいるが何が死んでいるのか分からない。それがいつも、台本を書く時に出てきて、最初の頃は余り深く考えていなかったが、何度も出て来るにつれ「ああ、これはなんか私の過去の体験と関係あるんだろうな」と思っていた。しかしそれが一体どこの事なのか、何のメタファなのか分かったのは、今朝の事だった。

あれは、私が小学四年まで住んでいた京都市南区のおうちの二階の部屋だ。メタファも糞も無い。まさにあの二階の事だったのだ。

いや、敢えてメタファというならば、あの頃の私の鬱屈した感情だったのだ。あの部屋は、両親が大げんかし、離別を決意した部屋でもあったが、同時に、私が産まれ育ち、弟と戯れ、父に甘え、母に抱かれた部屋だった。

それが、私たちが出て行った後、荒れ果て、足の踏み場も無くなった。

おそらく母とともに、残した荷物を回収しに行った時の事だったと思う。私は荒れた部屋を目の前にし、立ち尽くした。以前の生活感は完全に損なわれていた。そのとき、私の感情は揺れなかったと記憶している。多分、あまりに揺れすぎる可能性があって危険だと察知したカラダが、自分を守るために感覚を鈍感にした結果だった。今なら分かる。本当に哀しい時は涙なんか出ない。窓から見える風景だけが変わらなかった。そこにはもう、私の家庭はなかった。

こんなの25年前の話だ。なぜ今朝思い出したのかは分からない、でも思い出した。そして今朝この事を思い出したことで、私はもう、荒れた部屋を台本に出さなくなる気がした。いや、出しても出し方が変わる気がした。あの部屋の状態はとても哀しかった。今なら分かる。あの時の私は、とても哀しかった。そして、今の私には、あの時の私を抱きしめてあげる力がある。

昨日ひさしぶりにKちゃんとあって話したのも大きかった。私の、数年前の大変化を知っている数少ない人だ。そしてここ2年ほど、ほとんど会わなかった。きっと彼女に見せてしまった久しぶりの涙が、今朝のこの記憶に関係している気がする。

私の生き方は彼女のそれと微妙に違うんだけど、違うからこそ私には彼女が眩しく見え、時折その考えや生き方に触れたいと思うんだと思う。分かりやすく目立って活躍する人も素敵だけど、そこじゃない所で、小田嶋さん言うところの虚力に頼らず、こつこつと楽しみながら実力をつけていく彼女を、私は密かに見つめていたい。そして時々話を聞いて、自分の道を見つめ直したい。これから彼女と人生が交わる事があるのか無いのか分からないんだけど、それはたいして大きな問題じゃない。私が彼女に注目していればいいだけのことだと思った。

小田嶋さんの虚力

*ちなみに私は小保方さんの事も出てきた頃からなんだか好感が持てて好きだった。私はいちおう女性なので(しかも女子力低め)、彼女の女子力に目がくらんだ訳ではないと思うんだけどな。でもま、今問題となっているのは、彼女の事を好きかどうかではないんだよ、だって、好きかどうかで判断したらそれこそ、虚力の部分で判断する事になってしまうから。

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2014.03.06.

おっとっと

自転車に乗っていると、自分の人間的卑しさに何度も遭遇する。
そうそう。
これ、書いておきたかった。

自転車乗ってる時こそ、こうやって戦争は起きるんだ、と気づかされるのでメモ。

行けそうなのに待ってくれた車や、遠くから避けてくれた人には笑顔で頭を下げられる。1日幸せな気持ちになる。それは割と昔からできるって、初級やな。

のんびり歩いている老人、自由な子供については、まったく腹が立たなくなった。むしろ呼び鈴も鳴らさずにこちらが減速し、なるべく避けて通る。或は歩いて押す。(昔は「もう!」と少しイライラしていた)

というか、普通に歩く歩行者の邪魔はしなくなった。なるべくこちらが減速するか、降りる。

交差点ではこちらが先に止まって、両サイドの車や人や自転車に先を譲れるようになった(昔はまったくこれができなかった、今でも急いでいると出来ない事がある)

自転車が1台ずつしかすれ違う事のできない道で、対向車が2列並んできたときは、イラっとしてしまう。その2台が「連れ」であっても腹が立つし、連れではないがのろい1台を追い抜こうとして横に並んだ場合、もっと腹が立つ。

バス停などに人がたむろって通れないとき、もれなく呼び鈴を鳴らしてしまう。

こういう時に、さっと自分が引ける教養があればいいのにと思うが、とっさの時に本性は出るもので、ついイラッとしてしまうのだー。進路を妨げられても、イラッとせずに「おっとっと」って言えたらいいのにな。

おっとっと、すみません。って先に言えたら平和になるのに。

そうこうしているうちに、私のような子供が多いせいで、自転車に対して厳しい道交法が施行された。

並走したり、電気つけてなかったり、逆走したり、自転車及び歩行者専用の標識が無い歩道を走ったりすると、罰金ですよ。

傘さし運転、二人乗り、道路の内側を通る、急な進路変更も罰金。

信号無視と飲酒は分かるけど、上記についてはちょっとびっくりする。

今はあんまり厳しく無いみたいだけど。
今後いつ、取り締まりを強化するか分からない。

お金も痛いけど、ルールにがんじがらめになるんじゃなくて、配慮やな、配慮。教養。
譲りたい。落ち着きたい。戦争反対!って言ったその舌の根が乾かないうちに、自転車で舌打ちしてたら世話無いわ。

最後に「内田樹の研究室」の最新記事から言葉を。

教養とは一言で言えば、「他者」の内側に入り込み、「他者」として考え、感じ、生きる経験を積むことである。死者や異邦人や未来の人間たち、今ここにいる自分とは世界観も価値観も生活のしかたも違う「他者」の内側に入り込んで、そこから世界を眺め、世界を生きる想像力こそが教養の本質である。

2014.03.05.

37歳になりました

なんで誕生日はブログを書きたくなるんでしょうな。
帰り道はアレもコレも書きたいと思ってましたが、いざブログの画面を開いてみると忘れてしまいました。
だから今日の1日を、振り返ろうかな。

3月5日午前0時2分、電話が鳴りました。
東京でホットヨ・・・稽古している、村木よし子さんからでした。
ま、まさか誕生日おめでとうコール!?と思ったら、「ニッポンの河川って知ってる?」という電話でした。今日観てきたけどすごい面白かった!と。

京都にも来た事があると思うんですが、そのとき観れなかった事をとても後悔しました。
次回のチャンスは逃さないようにします。
そして私が「今日誕生日なんです」と言うと「そんなタイミングで電話するなんてうすら怖い」と言われました。

なんだか村木ねえさんと話した後は、ぐっすり眠れました。

そして翌朝、午前中から稽古でした。
今月末の松山公演の為のお稽古をして、合間に出演者たちの色々なプライベート話を聞いてさらに愛おしくなり、お誕生日ケーキまで頂き、究極に愛おしくなり、ありがたい時間を過ごしました。
帰りにキヤマちゃんや、杉山さんとも久しぶりに話せて楽しかったー。

自意識の雪だるまみたいで恥ずかしいですが、稽古予定を組むとき、3月5日に稽古すると、祝って欲しそうに見えてやだなあと思いナシにしようと考えていたのです。ところがその日、つまり今日、本気で1日空く事が分かり、空いてるのに稽古しないなんて!と厳しめの私が言ったので、仕方なく予定を入れたのでした。イヤー、だっれもそんなこと考えてる訳無いっていうか誕生日かどうかも知らんわという感じなんですが。自意識って雪だるま式に膨らんでいくよなあ。

でもいざ当日を迎えてみると、割とこう、普通に稽古が出来て、ケーキはとても素直に喜べて、ワシも歳を取ったもんじゃ、と思いました。

15時に自由になったので、前から行きたかった 河原町今出川のTHE GREENに行きました。ここは能楽師の宇高さんとその奥様春菜さんに連れて行っていただいた事があります。また行きたいなあと思いながらいつも通り過ぎてましたが、ふっと近くを通り、入りました。そしたらすっごくラッキーな事がありました。ここでは書けないけど。ありがとうございます店主さま。

ちなみにめちゃくちゃお洒落で、美味しいメニューがあるカフェなので、おすすめです。

カフェで、台本の整理をしました。ワクワクしながら整理できたので良かったです。さらにその間に両親や弟たちからおめでとうの連絡が入り、思わず涙が出てしまいました。

私の産まれた日は、雪がちらついていたそうです。調べてみると、1977年の3月5日は、寒の戻りがありました。3月の京都なのに雪、中々珍しいみたいですね。寒かったけど両親は喜んだそうです。京都の桂、身原病院。二人の喜びを想像したら、泣けてきました。自分の誕生日に親の事を想像して泣けて来るなんて、ワシもやっぱり、歳を取ったなーと思いました。

帰りに、100均で酒粕ペーストの為のタッパーを買い、その後行きつけの花屋さんに行きました。うちの近くには数軒花屋があります。最初は見かけのとてもお洒落だった花屋で花を買ったのですが、そのお店では花の事は特に教えてくれませんでした。

それで二度目は偶然、見かけた花屋に寄ったんです。理由は、数軒見た中で、チューリップの鉢植えが一番安かったからです。そしたらもう、めちゃくちゃ親切な花屋さんで、圧倒されてしまいました。それで、ここを行きつけに決めたのです。

どうやら私はおせっかいをされたかったようです。

今日はそのお店、花ふじで、日が当たらなくても育ってくれる花と、とある方への退院祝いのお花を買って送りました。日が当たらない花は、玄関に置きました。

いよいよ日が暮れてきたので、一生懸命坂を上り、最後にうちの近くの道端の野菜を買いました。私が今のお家に住みたくなったのは、家の周りの道端に、野菜がいっぱい売ってるから、でした。でも、数カ所ある中でもやっぱり、おせっかいの有る無しがあって、やっぱり私はおせっかいをいっぱいしてくれる方でいつも買うようになっています。今日は見切り品のカブと長ネギをゲットしました。

家に帰ったら、先日映画を観に行った時に偶然、これも見切り品になっていた立派な木の椅子が届きました。今はそれに座ってブログを書いています。

おせっかいが、昔は苦痛だったのに、
今はこんなにおせっかいされたいなんて、人生は不思議であります。

今日は今から、思う存分「24-TWENTY FOUR-season4」を観てやります。
と思ったけどもう21時回った。
誕生日が終わるー。

2014.02.14.

試・赤ずきんちゃんのこと

3月に、愛媛県松山市で、「試・赤ずきんちゃん」をやらせていただきます。
その為のテキストを、鋭意捜索中。と言いたい所だけどまだセリフは一文字も書けてません。

お稽古が二日後に迫っているし、明日はヨコハーマに行くので、あまり時間が無いのですが、構想が行ったり来たり、迷いに迷って全然まとまりません。(ヨコハーマではT-PAMがありまして、アトラクティブな企画がギューギューヅメです)

昨夜ようやく初心に立ち返って、自分が何に触発されて赤ずきんちゃんを紐解いたのか、思い出しました。そこ、見せないといけません。ふと、子供の頃にやっていた公文を思い出しました。

とりわけ数学です。

公文では、学年関係なく前に進んで行けるので、私も例に漏れず中学の頃に既に高校の問題解いたりしてたんですが、楽しみながら公式を解いていると答えも式も全然違う、ということがよくありました。私、楽しみながら大間違いしてたんです。ようするに、パターン思考ができなかったんですね。でも、楽しかった。どんどん間違った公式で前に進めて行って、最後には訳の分からない境地に達している。

童仙房に住んでいる心の師匠が言うてました。勉強できる人って、パターン思考が出来る人なんだって。物事を系列ごとに分けて、パターンを見極められ、応用が利く。

それが出来てなかったんだなーと今では分かるんだけど、腑に落ちないのが「楽しんでいた」ということなんですね。全然、苦じゃなかったんですね、間違っていても。だから、またやってしまうんです。答えが合う事より、楽しい事を選んでしまっていた。

これが台本を書く時にも生かされてしまいます。

「試・赤ずきんちゃん」

最初「これが気になる!」と思ってた事があるから赤ずきんちゃんをピックアップした訳ですが、調べて行くうちに新たに色んな情報やアイディアが出てきて、それがどんどん増殖し、元のテーマによく分からない感じでからまっていって、今、完全にほどけなくなってます。でももつれた状態にワクワクしてしまってもいて、さらにさらにと要素を増やそうともしてます。絡まった糸の塊はどでかいです。

良いのか悪いのか。昨夜一晩考えましたけど、
やっぱ、ほどこう、と思いました。いや、ほどくんじゃなくて、もう一度最初の1本を見直して、本当に必要な要素だけをつけようと。

それは、あの人もこの人も好きだけど、何が一番大事で、それを担保する為にはどの人を選ばねばならないのか、に似ています。英語で言うプライオリティですね。

(この「英語で言えば」が何故か私の中で流行っており、先日も京都新聞の取材で無意識に「英語で言えばネゴシエーション」と発言してたようで、しっかりそれが記事になってしまっていました。なんで「英語で」言い換える必要があんねんと思いますがこれはもはや、オウディエンスに向けてのサービスではなく、私の、自分の英語能力を上達させたいという気持ちの現れなんです。本当に、すいません。本当に、恥ずかしいです)

プライオリティの話に戻りますが、本当に、人生もそうで、何を優先するかを選ぶのって、勇気がいるし、判断力がいるし、割と大変なことなんだなと思います。でも、選ばないと、当初の目的が果たせない。

うーん、目的を果たせない事って、そんなに大事かしら、と思ったり、
こんがらがった糸も、それはそれでとても面白いなと思ったり、
色々思うんですが、

そこで頼りになるのが、自分の好きな表現方法、なんですね。
私の中で今面白いなと思う表現や人って、やっぱり、シンプルなんですね。
それは「分かりやすい」とはちょっと違って、こねくり回した末のシンプルなのかもしれませんが、とにかく、まっすぐ心に突き刺さって来る鋭さがある。

もしかするとそれは、「ほんとうは選びたかったけど、選ばなかった人や物、要素への責任と恋慕」というものも含まれた鋭さなのかもと思います。

オーディションなどもそうで、
まずもう「自分と一緒にやりたい」と言って下さった方なんて、無条件に愛せるわけで、だって、向こうが私とやりたいんでしょう、それでもう、条件は十分満たされてますですよ、と思うんですけど、演劇を始めた頃なんて、誰も私と演劇をやりたいわけじゃなかった、その時にあれほど渇望していた「私とやってみたいひと」が目の前にたくさんいる状況は、ほんとに、目眩ものなんですけど、

やはり、どなたかとは、一緒にやらない、という判断を下さなくてはならない。やっぱり全員とやる訳にはいかない。

だから選ぶ。それは、多分、ベストを選ぶんじゃなくて、ベターを絞り込む、という感じです。

だからオーディションで落ちる事なんて、大した事じゃないです。
乱暴な言い方ですけど。
私もこれまで、幾多の選出から漏れて参りましたが、何一つ「あの時選ばれていれば私の人生は好転した」事なんてありません。それだけは言い切れる。

今が私に最適です。

フィンランド語で言うと「ムッレソピー」です。
・・・なんで、英語で言うと分かりやすくなるのに、フィンランド語で言うと余計難しくなるのでしょうな。

さ、それにそれた話を戻しますが、
今日は雪が降ったので、午前中の予定がナシになりました。
そこで、私は夜までおうちにこもり、文字を書きたいと考えています。

「試・赤ずきんちゃん」

もともと言いたかったところに戻る。
そこに、本当に必要なものだけくっつける。
とても魅力的だった、でも今回は必要の無い要素については、いつか使えると思って頭の隅に一旦しまう。

一段落したら、コーヒーで浸したホットケーキに、蜂蜜とマスカポーネをのせて食べてやるぜ。
昨日、成城石井でマスカポーネが30%引きでした。
そう言えば、成城石井で私の大好きな「ギリシャヨーグルト」が売ってました!いつのまに関西上陸したのかしら!美味しいよ!私は店頭に残っていた最後の1つを買って、母に託しました。私はヨコハーマで食べれるもんね。

2014.02.02.

人は一朝一夕じゃ変われないって茂木さんも今日呟いてた

せんしゅう、身体が大反乱を起こして、昨日の夜はもう「ウップ」という感じでギブアップした。
それで今日はもう、1日中寝てやろうか、と、弁当をつくりながら思った。

弁当を作り終わったら意外と覚醒したので、それなら仕事をするか、とテーブルに腰掛けた。
昨日の夜つくった、レンズ豆のスープが鍋の中で膨らんでいる。米と豆がスープを吸ってぼってりしている。
「ウップ」状態だったので、喰えんなと思った。いやーやっぱ寝るカー、雨だしなーとか思いながら、東京で買ったパッカのお茶を淹れた。パッカのお茶は金賞を受賞している。

ふっと、自分がウップになる状態を振り返ってみた。
ここ1ヶ月で、新しい事を始めていて、
それは身体にとても良い事で、良い効果も割とはっきり感じていて、
でもちょっとストレスなルールもあって、
そのルールを、せんしゅう一杯は守れなくて・・・

午前10時。
お弁当の残りのチャーハンを、口にした。
美味しかった。
それでふっと気持ちが落ちついた。
これやーと思った。
続いてレンズ豆のスープも食べた。美味しかった。

ウップ状態になった理由が分かった。
久々にやってしまった、「ルール押しつけ作戦」

昔から、内田樹先生によるところの、自分を幼児と見なしてもう1人の親の自分が考えたルールを幼児である自分に押し付けるやつ。やってしまった。私の身体はそれに反抗していたんだ。私は嫌だったんだ。押し付けられるのが。

ごめんね、と身体をなでなで。

いきなり自分を変えようとする事の恐ろしさに、これまでも幾度となく打ちのめされてきたのに、またやってたな。
いや、だって、そのルールはすごい理想的やから、ついついその正しさの眩さに、身体の声が聞こえなくなる。
いじわるしてんじゃない。
それが正しく無ければそもそも自分に押し付けたりしない。自分に、もっと良くなってほしいから、やっちゃう。
で、変われなくて、反乱を起こして、前より酷くなる。
それなら何にもやらない方がよかったんじゃないの。
いや、そうなんだ、やらない方がいいんだ。
頭で考えた事なんか、どうせ大した事ちゃう。
どうしてもやりたいなら、やっていいですかって、身体に聞こうや。

という感じで最近、割と気持ちが落ち込まないでやっていってる。
ウップ状態になっても、なんでかなーと分析できるようになった。これが成長だ。
ウップ状態を卒業!とまではいかないところが、私らしい。

弁当を作りながらそういえば、ウップ状態を阻止する為にお出かけしようかという案も浮かんだが、そんな理由じゃ身体が絶対嫌がってさらなる仕返しをされたにちがいない。出なくて良かった。

でも晴れて来たなー。

ふっと思うわ。
ルールを守り続ける意思の強さと頑固さをもし持ち合わせていたら、
見た目はバランスいい感じなんだけど、我慢してるから心の中がどんどんおかしくなって行って、身体を蝕んで行って、でもそのおかしさで戯曲かくから、めっちゃおもしろいんちゃうんか、とか。まー割と寿命短くなるやろうけどね。
そういうホンモノぽいアーティストに、私はなれんのだなあ、悔しいような、ほっとするような。

2014.01.12.

鼻を擤む

昨年の12月14日、私は鼻を擤む事を禁じられた。

特に期限の提示は無く、ただ「今鼻を擤んだら大惨事になるよ」「血が止まらなくなるよ」「入院が一ヶ月のびるよ」などとあの手この手で脅されただけであった。

しかし脅したのは、数人いらっしゃった中でも特に好きな先生だったので、メッセージは素直に心に響き、
以来私は一度も鼻を擤んでいない。

と言いたいところだけど、

習慣というのは奥深いもので、

私はこの約一ヶ月間で、なんと3回も、「気がついたら鼻を擤み終わっていた」という状態に出くわした。

鼻を擤むというのは、ご飯を食べるのとはちょっと違って、割と意思でコントロールできる作業だ。
ご飯だとコーラのグミのように自由に曲がる私の意思も、鼻についてはまるで冷凍した餅のように堅くなる。

ていうか特に努力しなくても、鼻を擤まないように行動する事ができたし、鼻を擤まない事で逆に鼻がつまらなくなる、という画期的な発見もあった。これは鼻づまりに悩んでいる人には積極的にアドバイスしたいことなんだけど、鼻を擤まないと、鼻の中の菌のバランスが良くなるんじゃないだろうか。違うかな。菌でなくてもなにか、自然な状態がキープされるような気がする。

これまで、なんか気持ち悪い、ってだけで無駄に鼻を擤みすぎてたんじゃないだろうか。それで必要な鼻水まで排出してしまい、鼻の中のバランスが崩れて、鼻づまりがおきていたのではないの?と思うぐらい、鼻づまりが無くなった。

だから、鼻づまりに悩んでいる皆さんは、一度、頑張って、鼻を擤まないようにしてみると良いと思います。

かんわきゅうだい。

それでも。

鼻がつまらないという奇跡に出くわしたにもかかわらず。

なんと3回も、無意識に鼻を擤んでしまっていたのであった。

そして3回が3回とも、朝起きてすぐのトイレの中、という、まさに「習慣」のシチュエーションであった。

習慣というのは、無意識なんだ、と改めて感動した。

だって、ティッシュを手にし、鼻まで持って行って、息を吸い込み、鼻水を出す(すいません)というこんな行程の多い作業を、意識が無いところでやってしまえるんだぞ。

それを全部やったあとに

「はっっっっ!鼻を、かんで・・・しまった・・・・・!!!!」

と改めて脳が自覚するんだ。

このノロマ!と罵ってしまいそうになるが、これが私の脳なのである。

そういやなんかの本で書いてあった(多分池谷裕二さん)けど、人って、なにかの判断をする時、頭で考えて指令を下していると思っているけど、実は違うんだってね、自分が意識するより先に判断は下していて、もう決まっている事を、あたかも今自分で決めました、みたいに感じてるだけなんだって。

という事はつまり、
私の身体は、1ヶ月に3回は、必要と感じて鼻を擤む、という事になるんじゃないだろうか。
(いや、習慣って、身体が必要としているものなの?それともほんとにシンプルに習慣なだけ?)

それにしても鼻を擤む事だけじゃなくて、色々やり過ぎてることが多い、情報に左右されて頭で考えて。
でも、本当に必要な事は身体が無意識にやってくれるので、わざわざ頭で考えてやらなくていいのじゃないかと思った今日この頃でした。

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